米山博志さん

■核のごみ、広い視野で

 半藤一利氏寄稿の「終戦72年の夏」(11日付)で、「八月や六日九日十五日」という俳句を知りました。紙面も広島、長崎、終戦について多くの記事が掲載され、8月という月が日本にとって濃密な月であることを改めて感じさせられます。

 「広島長崎を伝える」という題の連載記事(2~8日付)にはアニメ声優、被爆2世の作家、核の歴史研究者、在仏のドキュメンタリー監督など、さまざまな人がそれぞれの伝え方で広島・長崎を伝える様子が描かれていました。印象的であったのは、米国の詩人の「読者の心にすっと入って思考を促す手段の一つに、詩がある」という言葉と、原爆に遭った詩人による「詩は想像力を育む。だからこそ、原爆への怒りや悲しみを凝縮した言葉で、共感してもらうことができる」という言葉です。

 起こったことを伝えるには、大きく2通りの方法があると思います。一つは数字やデータを通して正確に記録として伝えること、そしてもう一つは数字の背後にある一人一人(一つ一つ)の体験(事象)を伝えること。前者は客観性を伝えることができるのに対して、後者は個を伝えることでその先にある普遍性を伝えることができます。文学や芸術を通して生まれる共感は、後者に通ずるものだと思います。この連載記事も、多様な声や活動を具体的に伝えています。

 伝え続けることの大切さは、昨年実現したオバマ氏の広島訪問に関する、ローズ前米大統領副補佐官のインタビュー(3日付)でも語られていました。それは「広島が示しているものに人々が興味を失えば、人類は再び核兵器を使うだろう」という言葉。この「広島が示しているもの」を伝え続けることはメディアの大きな役割だと思います。特に、被爆体験の生の声が聞こえなくなる近い将来、その役割はますます重要になってくるでしょう。正確さと同時に多くの個の具体的な声を伝え続けることによって、読者の理解と共感につながる記事づくりを期待したいと思います。

 核のごみ地図に関する記事が掲載されました。二つは専門家による「識者評論」(10日付、18日付)。2人の識者は、地球科学のもつ将来予測の不確かさ、第三者機関による検討の欠如を指摘し、「論説」(14日付)では安全性だけでなく、リスクについても率直に示す姿勢の必要性に言及しています。そして「公表1カ月」(29日付)では、最終処分場建設までの過程の流れ図とともに、複数の知事からの否定的な見解が語られています。国民的議論へ広げるために、今秋から始まるという説明会の様子だけでなく、推進する専門家の意見、非専門家の意見、フィンランドの状況など、広い視野で取り上げていただきたいと思います。

=8月分=(よねやま・ひろし、佐賀市)

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