時代を見つめるのか、城内に建つ奥村五百子像=唐津市二の門交差点

■明治時代の精神体現

 唐津市城内の二の門交差点の傍らに和服を着た品のいい女性の銅像が立っている。今や唐津市民の間でも忘れられつつある人物だが、「愛国婦人会」を創設した奥村五百子(いおこ)である。

 弘化2(1845)年、唐津市中町にある高徳寺に生まれた彼女は、7歳で唐津神社宮司の私塾に学び、その後、関西に単身遊学した。父・了寛の影響から尊王攘夷(じょうい)運動に関心を寄せ、16歳の時には男装して長州への密使になったこともあった。この時から高杉晋作との交流が始まった。

 高徳寺に身を寄せていた水戸藩士と結婚するも間もなく離別し、唐津を拠点に、討幕運動、地域産業振興、国際的人道支援に力を注いだ。

 政治にも興味を持ち、明治23(1890)年、自由民権運動が実って実施された第1回帝国議会選挙では、耐恒寮卒業生の天野為之陣営の指揮をとって当選させた。

 明治34(1901)年に近衛篤麿公、小笠原長生公や華族婦人らの支援を受けて「愛国婦人会」を設立。北清事変後の現地視察をきっかけに全国から寄金を募り、女性による兵隊たちの留守家庭や戦没遺族の生活維持のために働きかけた。

 五百子の業績について日本の軍国主義への反省とともに批判する人もいるが、考えの根底に流れているものは仏の道に従った弱者へのいたわりだと思う。

 女性ゆえの幾多の偏見と闘い、常に時代が求めている精神を先駆的に体現して人々を導いていった女性ということで、高徳寺境内にある墓に手を合わせる人が今なお絶えない。

 たなか・まこと フリーの編集者で、民俗学、歴史を中心に編集・執筆活動を行う。1954年生まれ。唐津市桜馬場。

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