旧高取邸2階のフジの杉戸絵。杉戸絵は29種類72枚ある

 明治維新以後、近代化を進めるわが国では、当時の基幹産業の一つである製鉄業振興のため、全国に化石燃料(石炭)を求めた。主な生産地は北海道、福島県、山口県、福岡県、そして佐賀県だった。

 高取伊好(これよし)は嘉永3(1850)年、佐賀藩の文教地区多久邑(ゆう)の儒者鶴田斌(ひとし)の三男として生まれたが、9歳の時、多久邑の藩校東原庠舎(とうげんしょうしゃ)の教諭高取大吉の養子となる。

 伊好の将来を決定づけたのは明治2(1869)年、長崎港沖に浮かぶ高島で、外国の最新的な技術で石炭の採掘をしているのを見たことだった。

 以後、伊好は慶応義塾大学に進み、英語や鉱山学を学ぶ。卒業後は工部省に入り、高島炭鉱への赴任をきっかけに、佐賀・長崎の炭鉱開発などに携わる。

 明治18(1885)年に独立し、多久の柚ノ木原炭鉱の開発に力を注ぐが、三菱などの大資本の攻勢や、明治23年恐慌によって苦難の日々を送ることになった。それでも明治42(1909)年に杵島炭鉱を買収し、大規模開発に成功するや「肥前の炭鉱王」の異名をとることになる。

 その伊好の自宅が唐津市北城内に残る旧高取邸である。明治38(1905)年、自宅兼迎賓のために建てたもので、和洋折衷の邸内には能舞台や大隈重信のためにあつらえたトイレ、フジ、ヤマザクラ、モミジなど京都の絵師水野香圃(こうほ)が描いた杉戸絵などがある。

 1998年、国の重要文化財に指定される前に調査に入った建築家の藤森照信氏(現東京大学名誉教授)は「柳に蛍」の杉戸絵がお気に入りだ。

 この邸宅には他の炭鉱王住居に見られるような“成金趣味”はない。高い教養に基づいた美があふれている。

 たなか・まこと フリーの編集者で、民俗学、歴史を中心に編集・執筆活動を行う。1954年生まれ。唐津市桜馬場。

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