現地ガイドの説明を聞きながら、武寧王の墓から見つかった石版を見学する児童生徒=中清南道公州市の熊津百済文化歴史館

武寧王の墓の内部を再現した展示室でガイドの解説を聞く児童生徒=中清南道公州市の熊津百済文化歴史館

現地の人たちと交流する児童生徒=忠清南道公州の国立公州博物館熊津百済室

百済の武王が造った人工の池「宮南池」に浮かぶハスの葉に驚く児童生徒たち=忠清南道扶余郡の宮南池

 唐津市加唐島の加唐小中校の児童生徒が8月25~27日、韓国に渡り、朝鮮半島で栄えた古代国家「百済(くだら)」ゆかりの地を訪ねた。百済の武寧(ぶねい)王は加唐島で生まれたとされることを縁に、韓国の子どもたちとも交流を深めた。訪問に同行し、日本と韓国をつなぐ王の足跡を訪ね歩いた。

 武寧王(462~523)は百済の第25代の王で、混乱し危機的状況にあった百済を再興させた。日本書紀に加唐島で生まれたとの記述があり、島では2002年から生誕祭を開いて韓国から人を招くなど交流を深めている。今回の訪問もその一環だ。

 首都ソウルを南下し約175キロ。子どもたちはまず、百済の最後の都・泗〓(サビ)があった扶余(プヨ)郡を訪れた。百済時代に立てられた定林寺祉の中心部には、花こう岩で造られた五重の石塔がたたずむ。「唐と新羅(しらぎ)に滅ぼされた時、当時のものはほとんど燃やされてしまった」とガイドの崔英淑(チェヨンスク)さん。塔以外の寺院は後で復元したものだという。塔には、唐が戦果を記念して文章を刻んでいる。崔さんは「百済の側からこの塔を見ると悲しくなります」とぽつり。子どもたちも、静かに百済の終わりに思いをはせた。

 同郡から車で約1時間の場所にあるのは、熊津(ウンジン)百済文化歴史館(中清南道公州(チュンチョムナムドコンジュ)市)。武寧王などの王墓が集まるある宋山里(ソンサンニ)古墳群や、出土品を収蔵する国立公州博物館に隣接している。歴史館では、民族衣装の韓服に身を包んだ「武寧王国際ネットワーク協議会」が歌でお出迎え。子どもたちも笑顔で応えた。

 加唐島では、武寧王が生まれたと伝えられてきたが、物証はなく、あくまで「伝説」だった。歴史が変わったのは1971年、古墳群で見つかった石版にある武寧王の生没年と、日本書紀の生没年が重なることから「加唐島生誕説」を有力にした。

 子どもたちは王墓の中を模した展示や、王が身につけていた耳飾り、木でできた枕などを見学。「第25代の王として百済を治めた武寧王は歴史の教科書に登場し韓国内でも知名度は高い」とガイドの崔(チェ)さん。中3の宗昂利(ひかり)さん(15)は「道具を見たことで武寧王が実在したことを感じた。装飾品が豪華で、すごい権力を持っていたと思う」。藤家優(ゆう)さん(14)も「話でしか聞いたことないけど、武寧王がいたおかげでこうやって韓国に来られてる」と歴史のつながりを感じていた。

〓はサンズイに比

このエントリーをはてなブックマークに追加