広島と長崎に原子爆弾が落とされ、71年目の夏を迎えた。今年は5月、原爆を投下した米国からオバマ大統領が現職として初めて広島を訪問し、「核なき世界」を目指すメッセージを出した。被爆地日本としてもこの機を生かし、平和への思いを発信したい。

 安倍晋三首相は6日の広島、9日の長崎での平和祈念式典のあいさつで「非核三原則を堅持し、核拡散防止条約の強化の重要性を訴えたい」と述べた。オバマ大統領の広島訪問の成果を訴えつつも、核兵器廃絶への取り組みという点で具体的な言及はなかった。

 広島と長崎の惨劇が示したように、核兵器はたった一発で一つの都市を破壊する力を持つ。無差別の大量殺人を行い、究極の非人道的兵器だろう。しかし、核兵器を持つ側は「戦争を抑止する効果がある」と正当化する。核兵器の恐ろしさに鈍感になっているようにも見える。

 世界は核兵器をどう考えているか。一つの指標と言えるのが、2007年に国連に提案された核兵器禁止条約へのスタンスだろう。

 昨年11月、条約を実現するために作業部会を開催すべきかを議論している。135カ国の賛成で設置が決まったが、米国やロシアなど核保有国を含む12カ国が反対し、米国と軍事同盟を結ぶ欧州諸国など33カ国が棄権している。

 被爆地日本は賛成ではなく、欧州同様に米国の「核の傘」に守られているとして棄権を選んだ。核軍縮に向けた2月の国連作業部会でも「北朝鮮の核実験が続く状況を見れば、核兵器禁止条約はまだその段階ではない」との考え方を示している。

 中国やロシア、北朝鮮と海を挟んで向き合う状況を見れば、核の傘を否定できない難しさもあるのだろう。稲田朋美防衛相の過去の発言のように「将来的には日本も核保有を検討すべき」と言及する政治家は後を絶たない。それだけに、被爆国の立場を強調して核廃絶の主張をしても、どこまで本気なのかと疑われても仕方がない。

 一方で、オバマ大統領は広島訪問で自信を深めたのか、核軍縮に意欲的になっている。9月にも核実験の禁止や核兵器近代化予算の削減、米国側から先に核兵器を使わない「先制不使用」宣言などを国連安全保障理事会に提案することを検討している。

 任期が5カ月を切り、「レガシー(政治的遺産)」づくりだと皮肉まじりの指摘もある。ただ、日本としてはオバマ大統領と連携し核軍縮の機運を高める選択肢もあるのではないか。何の行動も示せなければ、大統領を広島に招いたことは参院選前の実績づくりにすぎず、平和のビジョンを持ち合わせていなかったことになる。

 国際的な核軍縮の歩みは遅いが、被爆者の高齢化が進み、限られた時間を意識するからこそ、被爆地の平和を訴える声に力強さを感じる。長崎の式典で田上富久市長は「事実を知ることが核兵器のない未来を考えるスタートラインとなる」と、多くの人に長崎と広島を見てほしいと呼びかけた。

 もちろん、広島や長崎の人たちに任せきりにすべきではない。佐賀県からも長崎への学徒動員などで多くの犠牲者や被爆者が出ている。痛みを分かち合うものとして「核なき世界」の実現をともに訴えたい。(日高勉)

このエントリーをはてなブックマークに追加