歴史の研究は日々進み、教科書も変化している。次の改定で小中学校の社会科から江戸時代の「鎖国」が消えるという。長崎を通じてオランダや中国と、対馬では朝鮮と交易を続けてきた。限定的だが、世界に向けて門は開いていたという学説を尊重するものだ◆鎖国という言葉は17世紀末に来日し、5代将軍徳川綱吉と謁見(えっけん)したドイツ人医師ケンペルの著書に由来する。彼の評伝(B・M・ボダルト=ベイリー著)によると、鎖国には肯定的な意味が込められていた。周辺国を巻き込んだ戦争で荒廃した母国と比べれば、海に囲まれた日本は平和が保たれている、と◆欧州で広く読まれたケンペルの著書が日本で翻訳されたのは江戸後期の19世紀初め。欧米諸国と広く交易する開国か、打ち払う攘夷(じょうい)かで国論が二分する中、鎖国という言葉も彼の思いと異なる意味で世に広がった◆情報化が進んだ現代では国を完全に閉じるのは無理だろうが、経済分野は今も国が開かれているか否かが焦点となる。自国の製品が売れずに「閉鎖的だ」と外圧をかける国もある◆<太平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん)(蒸気船)たった4杯(隻)で夜も眠れず>。江戸時代の「鎖国」を終わらせたのは米国の黒船だった。あれから160余年。恰幅(かっぷく)のいいペリー提督の写真が、ツイッター好きのあの人と重なって見える。(日)

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