作家の北杜夫(もりお)は戦時中の昭和20(1945)年、長野県の旧制松本高校に入学している。そこは信州の地に建つ学校だ。のちのちまで網膜に残っているのは冷え冷えとした大気の中に広がる美しい山脈(やまなみ)だったという◆自著『どくとるマンボウ青春記』にこんなことを書いている。父の歌人、斎藤茂吉に無理やり医者になれと強制され、煩悶(はんもん)のあげく神経衰弱になる。そこで一人、秋の盛りに北アルプスの穂高岳を見に出かけた。半ばの喪心とかすかな希望を抱いて、黙々と歩く。細道は長く続き、息をきらせ、汗を滴らして登る◆峠から見る穂高の威容。少しの雪もなく、風化に洗われた大岩塊は圧倒的に巨大だった。その前では微小な存在にすぎない自分に気づき、神経衰弱状態はあらかた消失していた。適度な運動療法と自己暗示のようなものだったと回想しているが、登山の持つ力に気づかせてくれる◆山登りはマラソンに似ている。自分が一歩、前に足を出すと、その一歩の分ゴール(頂上)に近づく。生きていると、思い通りにならないことの方が多く、ひるみそうになることもある。でも、一歩ずつ歩んだごほうびは頂上からの晴れ晴れとした景色だ。乗り越えたからこそ見られる◆きょうは山に親しみ、その恩恵に感謝する「山の日」。楽しい登山は、人を成長させる力もある。(章)

このエントリーをはてなブックマークに追加