彦山神宮・奉幣殿。1616年に細川忠興が復興した「彦山霊仙寺大講堂」を今はこう呼んでいる

 ■変遷の歴史と彦山信仰

 雲わく峰「彦山」。その山容を仰ぎ見る「筑豊」の歴史は複雑である。

 元々、筑豊は「筑前」と「豊前」の二つの国にまたがっていた。江戸時代、幕府は筑前博多に「黒田氏」を置き、豊前小倉に「細川氏」を配するが、肥後の「加藤氏」の改易によって細川氏は肥後に移り「小笠原氏」が小倉城主になる。

 が、幕末動乱の中、幕府の「第二次長州征討」に際し、将軍家茂(いえもち)は小倉の小笠原氏を九州軍の総監に任命するが、小笠原氏は長州軍の高杉晋作の猛攻を受けて田川に逃亡、さらに豊州(とよず)に移って明治維新を迎える。

 明治2年、大名の政府への領地返納すなわち「藩籍奉還」が行われ、さしあたり大名を「藩知事」に任命するに際し、小倉には大名不在ということで隣国筑前の黒田氏が藩知事となり、廃藩置県で豊前小倉の旧小笠原領は「福岡県」に組み入れられる。

 で、旧黒田領と小笠原領の山々に囲まれた盆地の産炭地一帯を「筑豊」と呼び習わす。

 北部のみずほ造山帯の「花崗(かこう)岩」、海底のサンゴ礁「石灰岩」が隆起した香春(かわら )岳、地底で固まった溶岩が隆起した「玄武岩」の彦山の三つの複雑な地形と、複雑な歴史の変遷の中に彦山信仰は成立し、存在する。(高尾平良・鳥栖歴史研究会常任講師)

このエントリーをはてなブックマークに追加