バナナの甘さが、戦争の記憶と結びつく。クイズ番組などでも活躍した民俗学者の故・池田弥三郎が、終戦を迎えた宮古島での思い出をつづっている◆「バナナがなっていて、わたしたちはむさぼりくった。まる三年の満州ぐらしのあとのことで、それはむしょうにうまかった」。宮古島のバナナは長さ10センチほどと小ぶり。たちまちなくなり「その木を切り倒してにてたべてしまった」。バナナの木の部分「偽茎(ぎけい)」の味がどうだったか、池田はふれていないが、木ごと食べたとは強烈な飢えに耐えかねたのだろう◆当時、島では「赤いソテツの実」を歌詞に織り込んだ歌がはやっていた。戦後も10年以上たって「バタヤン」こと、故・田端義夫がほれ込んでレコーディングし、1962(昭和37)年に大ヒットさせた名曲「島育ち」である◆曲のヒットが、池田の記憶を呼び起こしたのかもしれない。「そてつの実は赤い。それもトマトの赤さではなく、朱がかった赤さであって、見たところいかにもうまそうで、空腹な兵隊の食欲をそそった」。だが、見た目とは裏腹にソテツの実は毒性があって食べられないのだという◆「たべられそうなものの、何一つとしてなくなった島の自然の中に、そてつの実だけは、真っ赤にうれて、食欲をそそっていた」-。恨めしくも切ない、戦争の記憶である。(史)

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