遺族の寺崎正博さん(前列右)と野田皓一さん(同左)。左上は石碑を見つけた津留逸雄さん=太良町(提供写真)

◆みやき町の寺崎さんら、11年前発見の碑に

 太良町の多良岳山中に建てられ、戦時中に殉職した兵士をまつる石碑に今月、数十年ぶりに遺族が訪れ献花した。長らく場所が分からず、町の歴史や民俗を記す「町誌」にも載らない“幻の碑”となっていたが、地元の登山愛好家が10年ほど前に見つけ、今回の慰霊がかなった。

 「三航空兵曹殉職之碑」と記された高さ約2・6メートルの石碑は、同町の中山キャンプ場から、南西方向に50分ほど登った地点にある。そこは1939(昭和14)年2月、当時25歳だった大村海軍航空隊の寺崎正之さん=三養基郡北茂安村出身=ら3人が飛行訓練中、墜落して亡くなった場所で、地元住民らが3年後に建てた木製の碑の代わりに、多良町(当時)が54年に建てたとされる。

 建てた当時は遺族や関係者が訪れたが、やがて場所が分からなくなった。50回忌となる88年に遺族が参拝しようとしたが、たどり着けず引き返したという。十分な資料がなく、94~95年に町が発行した「町誌」にも記載されなかった。

 突き止めたのは、定年退職を機に登山を始めた津留逸雄さん(71)=太良町栄町区。高校時代から碑の存在を知っており、町誌に載っていないことに触発された。ただ、2005年7月に登山仲間と探した際は見つからなかった。

 津留さんは同年8月13日に一人、キャンプ場を見下ろせる位置から、普段とは異なるルートで下山を試みた。同17日、今度はそのルートを下から登ろうとして道に迷い、偶然、石碑にたどり着いた。「お盆を挟んだ時期だったので、英霊に招き入れられた気がした。石碑を見た瞬間、平和の尊さを感じた」

 津留さんは遺族と連絡を取り、何度か慰霊登山に誘い、殉職した寺崎正之さんのおいの寺崎正博さん(62)=みやき町=と、正之さんのいとこの野田皓一さん(74)=鳥栖市=を今月1日、案内することになった。一同で碑の前に花をささげ、殉職から77年にちなんで77本の線香を上げた。

 津留さんの尽力に、正博さんは「ここまでしてくれてありがたい。今度は秋にゆっくりと、案内を借りてまた来たい」と話す。津留さんは「ようやく実現できてほっとしたし、体力が続く限り一緒に登山したい」と話し、石碑の記憶が風化しないことを願っている。

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