「譲り受けた器を眺めていると、仲が良かった両親の姿を思い出す」と話した城野啓子さん(左)。右は夫の幸さん=三養基郡みやき町豆津の自宅

城野啓子さんの母親の平井フヂノさんが集めた源右衛門の食器。赤と青の色合いが好きだったという。今では盆や正月など特別な日に使っている

城野啓子さんの両親、平井フヂノさん(左)と義信さん=1975年ごろ撮影

■母の愛した食器 手術機に夫婦で窯元巡り 

 母の平井フヂノは有田焼の食器をこつこつ集めていました。私の実家は、父の義信が電力会社に勤めていた関係で転勤族。社宅のご近所付き合いで焼き物を見せてもらい、母がその美しさに引かれたことが収集のきっかけだったみたい。

 ただ、私の祖母に当たる姑(しゅうとめ)さんが厳しい人で、母好みの器に替えることはできなかったようでね。自由に外出もできず、有田陶器市を友人と訪ねることが、限られた楽しみの一つだった。食器を少しずつ買い足して大事にしまい、転勤のたびに一緒に運んでいた。

 父は仕事が命で、とてもまじめでつつましい人だった。だから、休みに父と一緒に出かけた記憶がほとんどない。でも、祖母が亡くなってからは、母と一緒に出かけることが多くなった。特に母が乳がんを患って手術してからは2人の時間を大切にしていました。

 いつしか、ドライブがてら窯元を巡るのが両親の楽しみになっていましたね。母の趣味を一緒に楽しんでいる父の姿が「あぁ、すてきだな」と感じたことを覚えている。とびきり高価なものではないけれど、2人で品定めをした器で食卓を囲むことが、最高のぜいたくだったんだと思う。

 母はそれぞれの器に盛りつける料理をしっかり決めていた。深皿ならがめ煮、角皿ならなます、という具合にね。大皿に盛るのではなく、一人一人に料理の種類だけ器を使うから、セットでそろえていました。

 母は27年前、父は4年前に亡くなったけれど、母から習った料理を、譲り受けた器に盛りつけるたびに、仲が良かった両親の姿を思い出しますね。

 器は普段使いはせず、特別なときに使うようにしています。お正月やお盆、お客さんが訪ねてきたときとかね。白磁の部分にしみが付いたらいけないから、料理を平らげたら、すぐ食卓から引いて洗うのがわが家のルール。しっかりお湯ですすいで、拭き上げてから収納する。だから「たまに使ったかと思ったら、器をゆっくり眺める暇もない」なんて、主人の小言が聞こえてくるときもあります。

 主人は昨年、がんを患いました。幸いにも回復して、主人も私も今は働いています。ゆっくり旅行をするのは難しいけれど、これからは夫婦の時間を大切にして、水入らずで窯元巡りなんかをしてみたいな。きっと父と母も目を細めて見守ってくれるでしょうね。

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