戦争体験者の証言映像(奥)を踏まえ、登壇者が意見を交わしたシンポジウム=佐賀市のアバンセ

鍋島小学校4年生による音楽物語「ちいちゃんのかげおくり」。リコーダーの演奏や映像を交えながら、戦争で引き裂かれた家族の悲惨さを伝えた=佐賀市のアバンセ

 アジア・太平洋戦争を巡る記憶を後世にどう継承するかを考えるシンポジウム(主催・佐賀新聞社)が12日、佐賀市のアバンセで開かれた。佐賀県内の高校生と大学・大学院生が登壇し、佐賀新聞社が長期連載した戦争体験者への聞き書き「刻む 佐賀・戦時下の記憶」に登場した6人による証言映像を見ながら、大戦の実相を学び、語り継ぐことの意義を考えた。佐賀大学の研究者2人と佐賀新聞社の報道部デスクも助言者として参加し、討論の前には佐賀市の鍋島小学校4年生による音楽物語の上演もあった。シンポジウムの要旨を採録する。

=パネリスト=

 佐賀大学大学院2年 山岡貴秀

 佐賀大学大学院1年 横尾健斗

 佐賀大学文化教育学部3年 藤井香奈

 弘学館高校3年、前高校生平和大使 鶴田晴子

 佐賀大学准教授 鬼嶋淳

 佐賀大学准教授 吉岡剛彦

 佐賀新聞社報道部デスク 井上武

=コーディネーター=

 佐賀新聞社専務取締役編集主幹 富吉賢太郎

【論点1】開戦前後どんな時代か

<山岡 強制移転に「総力戦」実感/横尾 17歳教師の思い知りたい>

 富吉 太平洋戦争開戦の前後はどういう時代だったのか。

 ■久保浩洋さん(神埼郡吉野ケ里町)の証言要旨 目達原飛行場の建設で約60戸が強制移転になった。若者は出征しており、引っ越しなど苦労した。出撃前の特攻隊員の異様な行動を目撃し、彼らなりにいろいろと抱えていたと感じた。

 山岡 (飛行場建設で)60戸が立ち退く話では、移り住む場所や大工さんを探すのに苦労したという。こういう苦労も、戦争に巻き込まれていき、それに対して何も言えない状況から生まれた。まさに「総力戦」だったといえる。また、特攻隊員の異様な行動の話では、戦争という極限状態の中であったとしても、理解し難いものがあった。

 藤井 (爆撃機の)B29が飛来した時、飛行機を隠す話が印象的だった。応戦するのかと思ったが、大切な訓練機を狙われては困るという理由で隠していたと聞いて納得できた。特攻隊員のために訓練機を取っておかないといけないという状況からは、(当時の日本の)物資の少なさが垣間見えるような気がした。

 ■山下侑子さん(佐賀市)の証言要旨 同級生の男子が戦地に赴く中、17歳で台湾の国民学校の教壇に立った。子どもたちに「絶対戦争に勝つ」と教えたことを後悔している。

 横尾 17歳で教師として働き始めたと聞いて、率直にすごさを感じた。戦況が厳しくなる中、教え子たちに「日本は負けるんですか」と尋ねられ、「神風が吹くので絶対負けません」と言ってしまい、後悔した際、どういう思いだったのかもっと知りたいと思った。また、植民地だった台湾でも勤労奉仕など国のために総動員されていたことを知ることができた。

【論点2】戦争に翻弄された人々

<横尾 人殺し正当化される怖さ/鶴田 死を恐れぬ人だけでない>

 富吉 戦争に国民が翻弄(ほんろう)されていくわけだが、戦地ではどうだったのか。

 ■村田三郎さん(嬉野市)の証言要旨 ビルマ(現ミャンマー)で密林地帯の最前線にいた。戦況は悪化し、深刻な食糧、弾薬不足でタンポポを食べて飢えをしのいだ。敵も撃った。「戦場はモラルや常識とは真逆なんですよ」と語る。

 横尾 本人の声を聞き、すごく衝撃的というか、言葉が重いなと感じた。想像もつかない戦場で、生き延びられたのは偶然なんだろうなと思う。(テレビや映画などで)よく目にする戦闘シーンは「お国のため」「家族のため」と華々しく語られるが、そうではない。亡くなる人の多くは餓死や病死だ。生きるために人を殺さなければならず、それが正当化される戦場には常識やモラルもない。あらためて怖いと感じた。

 ■小林文子さん(杵島郡江北町)の証言要旨 日本が委託統治していたサイパン島で生まれ育った。米軍上陸後、家族で山中に身を潜め逃避行を続けた。米軍に見つかり、捕虜になることを迫られる。母親は死を選ぼうとしたが、小林さんは泣き出し、震える娘を見た父親が捕虜になることを選んだ。

 鶴田 被爆者の話しか聞いたことがなく、サイパンの話を詳しく聞いたのは初めて。自決の話で、「お国のため」ということで死が怖くない人が多かったというイメージだったが、子どもだった小林さんが泣き出したと聞き、そうではなかったと知ることができた。

 山岡 のどかな日常が、ある日突然、戦争で逃げ回る日々に変わることが一番印象的だった。小林さんが泣き出したことが、親や周りの人生を変えた。子どもが純粋に怖いと思い、大人はそれに従った。親は救われたと思っていなかったかもしれないが、子どもの素直さは何かを教えていて、本当にすごいと思った。

【論点3】8月15日が 本当に「終戦」なのか

<藤井 戦後の生活に経済的被害/鶴田 戦争は夢を途絶えさせる>

 富吉 8月15日で戦争が終わったと思いがちだが、果たして本当に「終戦」だと言えるのか。戦争のためにその後の人生が変わった人もいるのではないか。

 ■田中賢二さん(小城市)の証言要旨 昭和18年に学徒出陣。祖国のために頑張るという気持ちは強かった。戦後は農地解放などの影響で経済的に苦しく、学業もままならなかった。

 藤井 戦争被害が、戦後の生活に経済的な形で現れていて、驚いた。田中さんは公職追放や農地解放で裕福な立場から貧しい生活に一変し、自分の夢も思い描いたものと異なるようになった。青春の楽しみを戦争で奪われたのに、「みんながきつかったから我慢しよう」で終わらせていいのか、考えさせられた。

 鶴田 「当たり前」の怖さを感じた。「文系は最前線に行くのが当たり前」と聞いて、私たちの感覚と違うと思った。被爆者から「夢を見ないで、お国のために死ぬのが当たり前」という話を聞いたことを思い出した。私は自分の夢に向かって進んでいるが、そんな夢を途絶えさせる戦争の恐ろしさを感じた。

 ■永沼滋子さん(神埼郡吉野ケ里町)の証言要旨 満州は戦争中でも不自由な生活はなかった。戦後はソ連軍が進駐し若い女性は連れていかれた。髪を短く刈り汚い格好をして、女性とばれないように逃げてきた。

 藤井 引き揚げでは女性の被害が多かったのではないか。自分の身を自分で守らなければいけない状況で、わざと汚い格好で逃げたり、今の私たちからは考えられない生活。戦時中はみんなが厳しい暮らしをしていたと思っていたが、満州では戦時中の方が豊かな暮らしで、戦後に一変したと聞いて驚かされた。

【論点4】これから

<吉岡 証言、今を問い直す糧に/鬼嶋 当事者性の獲得が重要/富吉 共感得られる伝え方を/井上 現実味持って報じたい>

 富吉 メディアには戦争を語り継ぐ責任がある。

 井上 戦後の新聞は大戦の惨禍や加害の歴史を社会で共有するための媒体になってきた。今後もそうあり続けたいが、戦争体験者の高齢化に伴い、直接的な証言を得る機会が乏しくなっている。どう報じるべきか、試行錯誤を重ねている。

 こうして証言を聞くことで、現実味を帯び始めることを改めて実感した。戦後間もない時期には生々しく語られていたこうした出来事が、体験者の減少で忘れ去られようとしている。

 整った無機質な文章や統計を並べるだけでは、戦争の実態や真相は伝わらない。引き揚げなど、戦場にとどまらない惨禍を、現実味を持って語り継がなければ、戦時中の出来事がなかったかのようになりかねない。可能な限り証言を集めていくと同時に、ステレオタイプにならないように切り口や描き方を工夫したい。

 富吉 「刻む」の連載の中で、「70年前の紙面から」の監修などで力になってもらった2人の先生に感想を聞きたい。

 吉岡 鍋島小の音楽物語を見て、小学生の皆さんが社会に出るときに、どんな世の中を残してあげられるのかと痛切に感じた。

 戦争の記憶を語り継ぐとはどういうことなのかを、自分なりに一生懸命考えてきた。戦争状態に入った後、引き戻せない状況があることを考えると、今を問い直す糧として証言を捉える必要があると思う。

 証言を読んだり聞いたりする時、同じようなことが今でもあると気付く。自由に物が言えないとか、言いたいことを我慢するときとか。一元化した価値観で、異論を挟む人を排除しようとする状況には、戦争的な要素が含まれている。少しずつかもしれないが、実は戦争が近づいているのかもしれない。

 似たようなことが自分の周りにないか探し、気付き、現状を改める材料として証言を引き継いでいくべきだと強く感じた。

 鬼嶋 なぜ戦争の体験談がたくさん編まれてきたのか。新しい事実が分かることに加え、体験談を原点に、その時々の日本社会の在り方を問い直してきた側面もあるのではないか。

 いま戦争体験を問い直すことにどんな意味があるのかを考えながら、「刻む」の企画を手伝った。新しい事実を掘り起こすという意味で、佐賀の関係者に絞った点は良かった。

 戦争体験者が減る中で、どう伝えるかという新たな課題に立ち向かうには、体験していなくても、なるべく近づいて、当事者性を獲得することが重要だ。自分の問題として、自分の側に引き付けるにはどうすればいいかを考えながら、体験談を読まなければならない時代になっている。

 証言の中にもあったが、敗戦で攻める側が攻められる側に、支配する側が支配される側になるなど、状況が急に変わることがあるという点を認識すべき。

 あの戦争の時代は、今とそれほど違わないのかもしれない。必ず勝つ戦争はなく、過酷な状況にならないようにするしかない。そのための方法は、戦争をしないことしかない。

 富吉 2人のコメントは、私たちが取り組んできたことをこれからも続けていかなければならないのだと、言葉を換えて念押しされたのだと受け取った。

 戦争は体験した者でしか分からないという意見があるが、体験していない人間が語り継ぐことも大切。これからも戦争や平和について書いたり語ったりしながら、多くの人に共感を得られる伝え方を考えていきたい。

=「刻む」シンポジウム採録= 連載は単行本に

『刻む 佐賀・戦時下の記憶』

 佐賀新聞が2015年の戦後70年企画として、14年10月から1年半にわたり掲載した大型連載を単行本化した。県内在住者や佐賀ゆかりの70人が、日中戦争から太平洋戦争、敗戦直後の混乱まで「戦争の時代」を証言している。A5判515ページ、1200円(税別)。県内の主要書店などで発売中で、佐賀新聞各販売店でも取り扱っている。

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