高橋是清から大島小太郎に届いた礼状。右は封書の裏面

若いころ、耐恒寮の英語教師を務めた高橋是清

晩年の大島小太郎(唐津市教育委員会所蔵の肖像画)

■大島小太郎への書簡、旧大島邸で展示へ

 旧唐津藩の英語学校耐恒寮(たいこうりょう)の教師で後に内閣総理大臣を務めた高橋是清(1854~1936年)が、教え子の大島小太郎に宛てた書簡が23日、大島ゆかりの旧大島邸の開館式典で初披露された。「送ってもらった海鼠腸(このわた)で晩酌を楽しんでいる」という礼状で、子弟の交遊とともに、酒豪で鳴らした高橋の人柄を伝える。 

 書簡は便せん1枚で、大島が大伯父となる広島市在住の浅井昭秋(てるあき)さん(77)が持参した。約40年前、大島邸の裏にあった蔵が倒壊し、後片付け中、行李(こうり)の中から出てきたという。

 発信地は「東京市赤阪」で、「老生も至極健全」と近況を伝え、「毎度結構なる海角(鼠)腸をたくさんお贈りいただき感謝する」とし「好物で、ご教示のように焼き塩を加え、晩酌に楽しんでいる」とつづる。

 日付は「十五年二月十一日」。高橋は昭和11(1936)年、「二・二六事件」で暗殺されており、大正15(1926)年とみられる。高橋は内閣総理大臣などを務めた後、昭和2年(1927年)、再び大蔵大臣に就任しており、当時は無任の時代と思われる。

 高橋は米国帰国後の明治4(1871)年、17歳で唐津に招かれ、建築家辰野金吾や経済学者の天野為之らを指導し、唐津銀行の設立者で唐津の近代化に貢献した大島も教え子の一人。高橋は唐津赴任の夜、藩士40人を相手に酒を飲み、朝昼晩一日3升が日課だったというエピソードが残る。

 旧大島邸は解体に伴い、唐津市が南城内に移築復元した。書簡は寄贈、展示されることになり、市は「開館に花を添えるサプライズの贈り物」と喜ぶ。

このエントリーをはてなブックマークに追加