蒸し焼きに用いた集石炉。中央と右端の石が火で赤く焼けて割れている(鳥栖市誌第2巻より)

■100基超す集石炉、祭り跡も

 脊振山地の南麓にあたるこの地域に、最も古く大地に刻まれた記憶から新シリーズの話を始めます。

 最も古い確かな人間集団の痕跡は、9000年ほど前の「押型文土器」を使った人々の集落跡です。土器のほか石鏃(せきぞく)・石皿などが出土し、地面に残っていた遺構は焼けた石を集めた「集石炉」でした。これは石を焼き、その中で食料を蒸し焼きにする調理法です。

 遺跡が発見されたのは30年くらい前に多く調査した、石谷山・鷹取山・土器山などの標高100メートルほどの山麓一帯をベルト状に走る長崎自動車道建設やその周辺の農地整備事業に伴う文化財調査によるものです。

 代表例は鳥栖市山浦町にある「西田遺跡」です。部分調査ですが、ここからは集石炉100基以上のほか、動物を捕るための落とし穴やお祭りの跡なども確認されています。(鳥栖郷土研究会会長・藤瀬禎博)

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