玄界灘に臨んでそそり立つ包石=唐津市浜玉町境

■対馬藩統治と関係か

 唐津市浜玉町と糸島市の境に不思議な石積みがある。大きな丸い石を積み上げたもので、地元では包石(つつみいし)、古くは鼓石(つづみいし)と呼んでいる。

 この建造物について江戸時代の商人・測量家である伊能忠敬が唐津地区を測量した時のことを『測量日記』にこう記している。

 「文化9(1812)年8月17日、朝晴天、午後より白霞。(中略)鹿家村字鍛冶屋敷(中略)より海岸隔たり少き故適用、野昼休・海岸に包石あり。古(いにしえ)は鼓石という」

 この石積みの建造物は何だろうか、なぜこの地にあるのか、と思って調べていくうち、かつて我らが編集していた『フクオカスタイル』という季刊誌の特集を思い出した。

 「石に聞く~九州の石の文化」というタイトルで、対馬の天道信仰と関係のある「木坂のヤクマの塔」や「八町角(郭)」という、聖地に築かれた石造物を紹介した。それは包石と同じく石を積み上げられているのである。

 「ヤクマ」とは「厄魔」であるとの説があり、神社という祠(ほこら)を持たない対馬の人々にとって、精神のよりどころであったのかもしれない。

 江戸時代、浜崎(唐津市浜玉町浜崎)と肥前国田代(鳥栖市東部及び基山町)は対馬府中藩が治めていた。虹の松原内の浜崎と鏡の境界に「従是東対洲(対馬)」という境石があり、そのことがよく分かる。

 唐津の波戸岬近辺からは壱岐・対馬が見渡せるが、『魏志倭人伝』の時代から続く江戸時代でも、政治的・文化的なつながりがあったことを、改めて思うのである。

 たなか・まこと フリーの編集者で、民俗学、歴史を中心に編集・執筆活動を行う。1954年生まれ。唐津市桜馬場。

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