児童・生徒の「自死」が最も多いのは長期休暇明けです。それほど学校がつらく追い詰められている子どもが多いということです。

 人間は本来、気の合う人か目的を共有する人同士でしか集まりません。しかし、小中学校は子どもにとって「たまたま同じ年に生まれた近所の子どもが無理やり集められた集団」であり、不自然で苦痛の多い集団とも言えます。不登校の子どもが弱いのではなくて、通える子どもが強くて、たまたま周りに恵まれたと考える方が現実的です。

 それなのに「学校は行って当然」という考えが根強くあります。命に代えてまで、その学校に通い続けなければならないでしょうか?

 自死は、死にたいから死ぬのではなく、「死ぬしかない」「死んだ方がまし」と追い詰められた結果です。死にたいと打ち明けられると、大人は言葉の持つ強い響きに驚き、「命を大事に」という道徳論から死んではダメと反応しがちです。でも、死にたくなるほどつらくなる原因を取り除かなければ解決にはなりません。

 また、どの分野でも「ダメ、絶対」と価値観を押し付けるような教育は、困った時に相談しにくい環境を作るだけで、逆効果にしかなりません。必要なのは、行き詰まっていないという証明であり、いろいろな選択肢、逃げ道があることを示すことです。

 子どもには、学校と家が世界の全てで、そこで行き詰まることは死と同義と言えます。学校以外にも世界が広がっていることを実感する機会はとても大切です。今は校区外への転校も可能です。ほどよく使えば、ネットやゲームの世界も救いになり得ます。

 思春期特有の「今が永遠に続く」という感覚にも理解が必要です。子どもは自分が年老いることは想像できず、恋愛では、永遠に愛し続けられると簡単に思えたり(実際には数カ月)します。大人の10年はあっという間でも、思春期の3年はほぼ永遠。今ある闇のトンネルが永遠に続くと感じてしまいます。

 諸行無常―。自分も周囲の環境も全て変化し続け、とどまることのない中に自分自身がいることを想像しましょう。少し長いスパンで状況をとらえられれば、死にたいという思いも違う角度から見えるようになるかもしれません。つらい状況もずっとは続かないでしょう。(浄土真宗本願寺派僧侶・日本思春期学会理事 古川潤哉)

 古川さんのコラムは、本日の別刷り「子ども佐賀新聞」11面に掲載しています。

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