誰かに常に見張られている。そんな監視社会の恐怖を描いた米映画「エネミー・オブ・アメリカ」(1998年)。テロ対策法案を巡る暗殺事件を描いたものだ◆事件の証拠となるビデオを偶然手にした弁護士が、暗殺の首謀者である国家安全保障局の高官に追われることに。「やつの弱みを握れ」。高官が叫ぶと、弁護士の身辺に盗聴器や監視カメラ、発信器などが取り付けられ、徹底してプライバシーが暴かれていく。闇でうごめく集団に身がかたくなった◆日本がそんな監視社会への一歩にならないか心配になる。政府が新設を目指す「テロ等準備罪」である。もとは「共謀罪」という名前だった。犯罪を話し合ったり、仲間と目配せしただけで罪が問われかねないとの不安もあり3度廃案に◆処罰の相手を「組織的犯罪集団」に限定し衣替えしたが、普通の人が捜査対象にならない保証はない。犯罪が起きる前に摘発するには、怪しいとにらんだ人を常時監視することが欠かせないが、くだんの映画のような世界が現実になれば、市民運動も萎縮させる◆テロ対策と言えば通りがいいと考えたかもしれないが、法案の「等」は何をさすのだろう。無実の人まで一網打尽にされる心配は消えない。対象を監視するだけでなく、監視する側の人間も誰かが監視する…。どこまで必要となるのか。(章)

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