■PTA本来の精神引き継ごう

 佐賀県内で学ぶ小中学生の保護者や教職員らでつくる「県PTA連合会」の名誉会長、中冨文子(なかとみ・あやこ)さん=鳥栖市=が先月、105歳で亡くなった。日本でPTAの結成が始まった昭和22(1947)年から長年活動に携わり、女性初の全国組織の会長も務めた。PTAはいま都市部を中心に入退会の在り方などが問われ、活動の曲がり角にきている。そんな時期だからこそ、あらためて中冨さんの功績、精神を記憶に刻んでおきたい。

 戦中、戦後の混乱期に5人の子どもを育てた中冨さん。口癖は「おなかをすかしていると、ろくなことは考えない」だったという。夫は仕事、自らは長女の小学校入学をきっかけにPTAに携わる。活動で家庭を空けることは多かったが「(台所には)必ず蒸したサツマイモなどが置いてあった」と三女の山本由子さん(70)。その思いは学校給食の充実に通じていく。

 戦後、脱脂粉乳とパンなど粗食なメニューだった給食を、パンと牛乳におかずを加えた「完全給食」への改善を国に訴え続けた。食料難の中、せめて給食だけでもお腹いっぱい食べ、子どもたちの健全な成長につなげたい。

 中冨さんたちの行動は学校給食法として実を結び、現在、全国の小学校98・5%、中学校82・6%で完全給食が実施されている。「仲間とともに連日、文部省(現在の文科省)に出向き、私たちの熱意が認められたときの喜びは、今なお鮮明に覚えている」。中冨さんは県PTA連合会50年誌(1998年7月発行)で、そう回顧している。

 PTA会館(佐賀市与賀町)も全国に先駆け建設した。それまでは民家などを間借り、多いときは年6回の引っ越しを余儀なくされ、腰を落ち着けて活動できる状態ではなく「これで安心して研究や話し合いを持てるようになった」。1970年のことだった。

 64年から18年間は県PTA連合会会長、72年に女性として初めて日本協議会の会長に就任。その後は、県PTA連合会の名誉会長として総会などに出席、後進の活動を見守ってきた。70年にのぼる活動の根底にあったのが「無形の貯蓄」だった。父が折に触れ諭した言葉で、ひたすら人のため、世のために徳を重ねる。見返りを求めることなく、誠心誠意尽くせば、必ず良い実を結ぶ。

 時は過ぎ、いまPTAは入退会の在り方に加え、組織としての存在意義も問われている。核家族化、女性の社会参画が進み、ライフスタイルも多様化してきた。家庭によっては一人一役運動や全員活動などを強制されることで、生活そのものに影響するケースも考えられる。過渡期を迎えているのは確かだろう。

 一方で登下校の見守り、体育祭や卒業式など学校行事の、よきサポーターとしての役割は増している。中冨さんらが草創期、奔走したように、組織として行政や学校に意見を届けることも必要だ。PTAの綱領には、こう記してある。「家庭、学校、地域の連携を深め、児童・生徒の健全育成と福祉の増進を図る」。形はどう変わろうとも、その精神は引き継いでほしい。

 「中冨文子を偲(しの)ぶ会」は8月14日午後3時から、久留米市櫛原町87の萃香園ホテルで開かれる。(編集局長 澤野善文)

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