筑紫氏の本拠・筑紫神社

■新たな筑紫氏誕生へ

 1336(建武3)年、後醍醐天皇と対立して敗れた足利尊氏は九州に逃れるが、博多の「多々良(たたろう)浜」で天皇方の菊地武光を破り九州勢を率いて上京する。

 京都に入った尊氏は新たに光明天皇を立て後醍醐天皇は吉野に逃走する。

 これにより京都の北朝、吉野の南朝に分かれ、それぞれに味方する武将たちが争う「南北朝の争乱」が始まる。

 征夷大将軍となった尊氏は長男の直冬(ただふゆ)を中国を統括する「長門探題」として山口に、九州には一族の一色範氏(いっしきのりうじ)を「鎮西探題」として派遣する。

 幕府内部で1350(観応元)年、尊氏の弟・直義と有力武将・高師直(こうのもろなお)が対立して動乱が始まる。若いころ、大番役として京都に滞在した尊氏がものの弾みで関係した女性がいて、尊氏の帰国後に生まれたのが直冬であり、自分の子である実感を持てない尊氏は直冬を冷遇する。これをふびんに思った直義は直冬を自分の子として迎え入れた。

 直冬は直義に味方して高師直の弟で備後(岡山県)守護の高師泰と対決、尊氏から長門探題の地位を剥奪されて九州に逃げる。

 九州は鎮西探題一色範氏、後醍醐天皇の第6皇子懐良親王、足利直冬の三つどもえの戦いに巻き込まれ、古い筑紫氏が消え、新たな筑紫氏が誕生する。(鳥栖歴史研究会常任講師 高尾平良)

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