作家の村上龍氏が先月、『日本の伝統行事』という本を出した。「正月」「花見」「七夕」「年越し」など四季折々の日本の伝統行事を「無形の財産」と位置づけ、その魅力と価値を再発見して、発信していくことの大切さを指摘している。失われつつある伝統行事の価値とは何か。『限りなく透明に近いブルー』『13歳のハローワーク』など話題作を次々に出してきた村上氏が、いま改めて問う日本の伝統の行事について、身近なところから見つめ直したい。

 村上龍氏は、長崎県佐世保市の出身。本を紹介するホームページの冒頭で、少年のころに見た年末の餅つき行事を印象深く紹介している。

 師走の28日、29日ごろに、「お隣の佐賀県からやってきた農家の人たち」が、三輪トラックで臼や杵を積んできて餅をつく。杵と餅がくっつかないよう水をつけて餅を裏返す様子は神業のように見えたといい、その光景は、「家族や地域社会に喜びをもたらした」と振り返っている。

 ところが、その“餅つき隊”も、やがて姿を見ることがなくなり、餅をスーパーマーケットで買うようになって、どことなく正月が変わってしまった、と記す。

 年末の餅つき行事は佐賀でもほとんど見られなくなった。消えゆく伝統行事を惜しむ声は、佐賀新聞の読者の投書を掲載する「ひろば」面でも時折、目にする。ほとんどが高齢者で、幼いころに刻まれた記憶が中心だ。そこに書かれているのは餅つきのほか、祇園や浮立、おくんちなどの地域行事であり、歌や踊り、祈りを共有することで他の人たちとの一体感、周囲への思いやり、助け合いの心を育んできた、とつづっている。

 考えてみると、わたしたちは身近にある伝統的な行事について、どれだけ多くのことを失ってきたのだろう。「観光イベント」「学校行事」としての催しは残るものの、地域や家庭や生活に根ざし、心躍った記憶とは遠い存在となりつつある。

 訪日外国人が年間に2千万人を超える今、「餅つき」の由来や「ひな祭り」の意味も知らず、問われて答えもできないのでは、なんとも寂しい。村上氏が指摘するように、これからの社会では、日本の伝統的な行事をわたしたち自身が知ることが、文化も宗教も違う人々とのコミュニケーションの手助けになるというのは言い過ぎではないだろう。

 目まぐるしい社会を生きることと、地域や家庭で伝統行事をつないでいくことは相反することではない。簡単で便利なことが重宝される暮らしの中で、面倒なことに思えるかもしれないが、家族で一緒に線香花火を眺めることや、しょうぶ湯につかることは、幸せへの素朴な思いを再認識させてくれるだろう。七夕の短冊に幼い子どもと願い事をかくことは、豊かな心を育んでくれるに違いない。

 時代が変わっていくのは当然だ。しかし、人との接し方が難しく、生き方を見失いがちな今こそ、時の流れとともに埋もれてしまった大切な行事を家庭や地域の身近なところから見直していく時ではないだろうか。佐賀県からやってきた餅つき隊を、いまさらながらに熱く語る村上龍氏に、幼いころの心躍る体験の大切さを教えられた気がする。(丸田康循)

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