平松の「道中日記」に描かれた武雄の温泉町。幕末ころの武雄の様子が分かる貴重な資料で、今も残る屋号もある

 長崎から小倉に向かう長崎街道の25の宿場のひとつであった武雄(当時は柄崎と呼ばれることが多い)の宿は、多くの旅人の日記の中にも登場します。九州大学附属図書館所蔵の資料にも、平松儀右衛門という人が残した「道中日記」という史料があります。

 平松は唐津の町年寄で、元治2(1865)年3月、6人の同行者とともに長崎までの旅に出て、途中、武雄の「平戸や」に宿をとって3泊しました。日記には武雄の温泉の様子を「遠近の各所から七、八百人ほどが湯治に来て宿屋をふさいでいる」とあり、老若男女いずれもほぼ真っ裸で湯ひしゃく1本だけを持って温泉に通い、往来の絶える間がないこと、浄瑠璃(じょうるり)、新内、長唄などで湯の中もいたってにぎやかなこと、六つの湯つぼがあって入湯料が異なること、なかには100日や200日も湯治で滞在する人もいることなどが、いきいきと描写されています。平松自身も、投宿と同時にへこ(ふんどし)ひとつで温泉に行き湯に浸り、さらに夕食後にも出かけたと書いています。

 長崎街道のうちで、温泉を持つ宿場は武雄と嬉野の2宿であったため、多くの旅人が宿泊し身体を休めたことでしょう。現代以上のにぎわいがあったことが想像されます。

 また、この日記には、当時の武雄の温泉町を描いた図があって、たくさんの宿や店が軒を連ねる様子が見られますが、よく見ると現在も残る屋号も書かれています。(武雄市図書館・歴史資料館 川副 義敦)

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