「元三大師の護符」(左)と「火除けの護符」=基山町

 対馬藩宗家累代の位牌(いはい)を安置する慰霊堂建設が大興善寺で、大きな話題となった明治初期、誓恩師は「火除(よ)けの護符(お守り札)」の配布を始めた。護符の配布は鹿毛良鼎氏の発案だった。

 大興善寺が無量寿院と称していたころの承和(じょうわ)年間(834~848年)、寺は建物・什器(じゅうき)ともに残らず焼失した。その中にあって本尊の十一面観世音菩薩は、不思議にも水の符を踏んで火中に厳然と立っていた、と伝えられている。

 また、戦国時代(1467~1568年頃、異説あり)には文明、享(きょう)禄(ろく)、天文と3度の兵火に遭い、堂塔は焼失したが、本尊の十一面観世音菩薩は免れ、火を除ける不思議な力があると信じられていた。火除けの護符の配布は、「ご本尊様のご霊徳を、多くの人に享受してほしい」との誓恩師の願いでもあった。

 今も大興善寺から檀信徒に配られるお守り札には「火除けの護符」のほか、「元三(がんん)大師の護符」等がある。元三大師の護符は、夜叉(やしゃ)の姿に化した自分の姿を鏡に映し自画像を描き、自分の像を置くところには悪魔、災疫はないと誓った、とされる第18世天台宗座主の良源(912~985)の絵姿で、985(寛和(かんな)元)年正月3日に入寂したことから元三大師とも称された。(地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)

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