周囲に空地という自然を配し、南面に建つ

荘厳な雰囲気の座敷

■藩政時代の歴史的環境

 北を正里の集落、西を西与賀町高太郎の集落と接し、南を東与賀町下飯盛に接した水田地域で慶長絵図(1596~1615)に飯盛と記されています。かつてこの地域は龍造寺氏の勢力下にあったので水ケ江龍造寺の流れをくむ多久家の所領であったが、慶長16(1611)年に佐賀本藩の蔵入地になりました。

 飯盛は龍造寺氏にとってはもともと譜代家臣の石井氏の本拠地であったようですが、のちに石井氏を川副郷鹿江に移したといわれています。上飯盛に所在する妙光山常照院は日蓮宗の寺院で、永享元(1429)年に石井忠国が建立し、その後天正8(1580)年、石井常延の死去に際し現在地に復しました。鍋島勝茂は鍋島家の祈願所として65石5斗の知行地を与えました。

 このような藩政時代の歴史的環境に所在する中村家は大正8年に建てられ落成式の写真が座敷に架けられていました。大勢の人が人力車でお祝いに駆け付け、祝いの米俵がうずたかく積み上げられていました。建築材は遠く日田から取り寄せたといわれています。

 建物は南面に建ち、中門を設け、庭は石垣で周囲を囲い、重厚な雰囲気でした。間取りは座敷12畳のほか多くの部屋を有し、座敷の床には書家で有名な土肥春嶽先生の掛け軸と扁額が飾られ荘厳な雰囲気が漂っていました。

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