筑紫氏館跡付近から高取山を望む。戦国時代、一帯には武家屋敷が広がっていた=鳥栖市牛原町

 鳥栖市牛原町・山浦町・河内町にまたがって広がる国史跡・勝尾城(かつのおじょう)筑紫(ちくし)氏遺跡は、戦国時代に鳥栖を中心として肥前・筑前・筑後に勢力を誇った筑紫氏にまつわる遺跡です。

 この遺跡を流れる河内川に沿って上流へ向かうと、途中に地元で「ハルカドヤシキ」と呼ばれる一画があります。標高290メートルの高取山北麓にあるその場所は、筑紫家当主だった筑紫広門の弟・春門の屋敷があったと推定されています。さらに上流へ向かうと段々畑が広がりますが、この辺りは諸氏の屋敷跡と伝えられており、戦国時代には多くの武士たちでにぎわっていたと考えられます。

 そして、谷部の奥まったところに筑紫氏館跡があります。現在は鳥栖市・基山町の八十八カ所巡り(どろどろ参り)の一つになっており落ち着いた雰囲気ですが、400年以上前の戦国時代はこの館が地域の政治の中心であり、家臣たちとの会合、他大名の使者との外交、饗宴(きょうえん)などが行われていました。

 この地を治めていた広門は1587(天正15)年に現在の八女市へと移り勝尾城は廃城となります。山野となった一帯ですが、もし筑紫氏がこの地に残っていたら、武家屋敷が建ち並ぶ城下町の光景が広がっていたかもしれません。

 (地域レポーター・田中健一=鳥栖市儀徳町)

このエントリーをはてなブックマークに追加