丘の中腹に立つ「名古屋徳市翁頌徳碑」=唐津市肥前町星賀

■碑を仰ぎて

 『日本の酒5000年』の著者加藤百一氏によれば、酒神を祭る神社はもともと九州と近畿に多く、酒造りは稲作技術と金属器の普及に伴って東に伝わった。

 江戸時代には幕府の財政を安定させるため、米価安定と米を大量に使う酒造業統制が行われ、元禄時代の酒造業者数は今の10倍以上。その中で気になるのは、既に15世紀において九州の主な酒として肥前の唐津酒の名前がある。

 肥前杜氏も(1)江戸末期には伊万里や平戸方面に酒造りに出掛け(2)明治・大正期を経て(3)昭和戦前・戦時期(4)戦後・高度成長期と、歴史を継承してきた。

 その中で、私たちが「肥前杜氏中興の祖」と仰ぐのが、名古屋徳市氏である。名古屋氏は肥前杜氏のルーツと考えられる肥前町の星賀集落に1899(明治32)年に生まれ、弱冠31歳で杜氏となった。1933年には入野村酒造従業員組合を全国に先駆けて結成し、組織的に後進の養成に尽力した。さらに戦後1950年に同組合を肥前町酒造従業員組合として再建して、引き続き杜氏・蔵人の養成に邁進(まいしん)した。

 そこでは単に賃金をもらうための一日ではなく、酒が稲作や税金、国の財政、国策、そして神と結び付いていることを誇りとして仕事をするように指導した。

 肥前町星賀の小高い丘の中腹には名古屋氏の頌徳碑(しょうとくひ)が建立され、毎年8月16日、参拝とお墓参りを行っている。私たちは少しでも偉大な先人の後を追わねばならない。(井上満)

 いのうえ・みつる 1951(昭和26)年、唐津市肥前町入野生まれ。「肥前杜氏」として半世紀にわたり酒造りに携わる。現在、有田町・松尾酒造場(宮の松)に勤務。九州酒造杜氏組合長。

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