昨年7月、神奈川県相模原市の知的障害者施設で入所者19人を刺殺し、24人に重軽傷を負わせた元施設職員植松聖被告(27)が起訴された。5カ月に及ぶ精神鑑定の結果、刑事責任を問えると判断されたためだ。「障害者はいらない」というゆがんだ考えから凶行に及んだ被告の心の闇に、今後は裁判を通じて迫ることになる。

 植松被告は犯行を認めており、裁判の争点は責任能力の有無となる。鑑定では自分を特別な存在と思いこむ「自己愛性パーソナリティー障害」と診断されたが、過去の判例で、この障害は善悪を判断できる状態としている。

 「殺してはいけないことは分かっていた」と供述し、事前に結束バンドを用意して職員が身動きできないようにするなど計画性もある。犯行時の冷静な行動をみれば、刑事責任を問えることに何の疑いもないだろう。

 そういう意味では、なぜ凶行に至ったのか動機を解明し、心の闇にどこまで迫ることができるかが裁判の一番の注目点となる。

 植松被告は勤務先だった施設で無差別殺人を実行した。事件前には同僚に「障害者には安楽死が必要だ」と訴え、事件後の今も「障害者はいらない」「抹殺が最善の救う方法」とゆがんだ主張を繰り返しているという。

 もし、心境が変化していないのであれば、法廷でも妄想にしか聞こえない自説を延々と語る可能性は高い。そうなれば、真相解明にはほど遠く、身勝手な言い分によって、被害者や遺族がさらに傷つけられる可能性がある。

 心の闇に迫りつつ、最後は被告に罪の重さを自覚させ、反省の思いを抱かせることが必要だ。裁判官、検事、弁護士がそれぞれの立場から、そのように裁判を進めていく責任があると思う。

 事件前の措置入院時、十分な治療もせずに退院をさせたことが凶行を引き起こしたとして、精神医療の問題点も浮かび上がった。しかし、事件と精神疾患を安易に結びつけても問題は解決しない。

 植松被告は事件を通じ、障害者への憎悪や嫌悪感をまき散らした。インターネットを通じ、弱者に差別意識を持つ人たちが彼の考えに同調した。そういう時代の風潮や空気にこそ、私たちは危機感を感じるべきだし、その悪循環を断ち切る良心を強く持たなければならない。

 この事件で、捜査機関は遺族感情を考慮し、被害者の匿名発表を続けている。裁判員裁判の審理でも、遺族の意向があれば、匿名を続けるという。

 しかし、匿名で見えづらくなっているが、被告が無差別に奪った命には一人一人違った名前があり、それぞれの人生があり、その命を慈しみ、一緒に生きてきた家族や友人たちがいた。被告は施設職員として彼らのそばにおり、本来なら誰より気づけたはずだ。

 歌手の中島みゆきさんは20年近く前、知的障害者を描いたドラマで『命の別名』という曲をつくっている。<命につく名前を心と呼ぶ 名もなき君にも 名もなき僕にも>。今も心を込め歌う。

 被告は刃を向けた人たちの心をどう考えたのか。彼らの「名前」に何も感じなかったのか。被害者が多く、裁判は長期化が予想される。罪の重さと向き合う場となるように願いたい。(日高勉)

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