鳥栖市古賀町の鳥栖筑紫野道路の東、若葉小学校グラウンド脇の小路に小さな古墳がある。小さいとはいっても直径30メートル、複式構造の石室を持つ円墳「稲塚(いなづか)」である。鳥栖中学校1年のころ、私たち5人グループは母が作ってくれた紺地に白線の旗を立て麓中学校エリアに侵入した。

 その際のわれわれの拠点が稲塚。鳥栖筑紫野道路の西にある「塩塚(しおつか)」まで進出し、養父(やぶ)集落の小中学生と度々石合戦をした。

 鳥栖市内には小型群集墳を含めて1000を超す古墳がある。古墳時代、国司(こくし)・郡司(ぐんじ)・郷司(ごうし)の支配者層、その下の里長(りちょう)(今なら区長)、百姓(諸人)それぞれに身分相応の墳墓を造る。塩塚は郡司、稲塚は郷司クラスの墓であろうか。鳥栖中1年の5人は果敢に郡司に戦いを挑んだ、郷司一族なのであった。

絵・水田哲夫=鳥栖市本町

文・高尾平良=鳥栖市本町

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