熊本県水俣市で39年ぶりに開かれたコンサートの終了後、写真に納まる石川さゆりさん(左端)と胎児性水俣病患者の滝下昌文さん(右端)ら=2月

■全面解決道のり遠く 

 四大公害病の水俣病の公式確認から61年を迎えた1日、熊本県水俣市で犠牲者慰霊式が営まれ、患者や遺族ら約700人が祈りをささげた。今なお熊本、鹿児島両県で約2千人が患者認定を申請中で、認定や賠償を求めた訴訟も続く。患者らの高齢化が進む中、全面解決への道のりは長い。

 式は市や患者団体の主催。胎児性患者の滝下昌文さん(60)は、患者・遺族を代表して「祈りの言葉」を朗読し「過去は変えられない。精いっぱい生きることが、未来に向かって生きる誰かの心の支えになれば」と述べた。

 参列した山本公一環境相は「水俣病の拡大を防げなかったことを、改めておわびする」と謝罪。国際的な水銀汚染防止を目指す水俣条約に触れ、世界の水銀対策をリードすると誓った。蒲島郁夫熊本県知事は「最重要課題として、被害者の不安や課題の解消に全力で取り組む」と強調した。

 約30の患者・被害者団体は3月、国に健康調査を要請するため連絡組織「水俣病被害者・支援者連絡会」を結成。式後の懇談会で蒲島知事に、今月中旬ごろに話し合いの場を設けるよう要望し、蒲島知事は取材に「接触して話すのは大歓迎。検討したい」と答えた。山本環境相は「精査したい」と述べるにとどめ、健康調査への具体的な言及はなかった。

 原因企業チッソの森田美智男社長も陳謝した。

 環境省などによると、認定患者は熊本県1789人、鹿児島県493人で、うち計1909人が死亡した(4月27日現在)。認定申請中は熊本県1146人、鹿児島県958人(3月末現在)。さらに、未認定患者ら1500人以上が、国や両県、チッソに認定や損害賠償を求め、熊本、東京、大阪の各地裁などで係争中。

■「未来の誰かの支えに」 還暦の胎児性患者体調悪化と闘い>

 1日の水俣病犠牲者慰霊式で患者・遺族を代表して「祈りの言葉」を述べた熊本県水俣市の滝下昌文さん(60)。胎児性患者で、体調の悪化と闘いながらも人生を切り開いてきた。「精いっぱい生きることが、未来を生きる誰かの心の支えになれば」。周囲の支援に対する感謝を込め、力強く話した。

 「健康な自分を知らない」。既に亡くなった両親共に水俣病患者だった。子どものころ「特殊学級」だったことをばかにされた。患者だと自らはっきり認識した中学生のころには、原因企業のチッソを恨んだこともあった。「体は戻ってこない。今はもう、しょうがないと思う」とつぶやく。

 年を取るにつれ、衰えを感じる。約5年前から車いすを利用し、週4、5日は頭痛で眠れず、睡眠薬を服用する。ミカンの選別の仕事などを経て、約10年間、障害福祉サービス事業所に通い、ペットボトルのラベルを剥がす作業をした。だが、思うように体が動かず、約3年前から足が遠のいている。「いずれは施設に入るだろうし、あと何年生きられるのか…」

 希望は一緒に暮らす22歳の長男だ。37歳のときに見合い結婚し、1児をもうけた。「自分がいなくなった後、ちゃんと暮らせるのか。結婚して孫の顔を見せてくれたら」。どこにでもいる父親の顔をのぞかせる。

 今年2月には「寝たきりの仲間に歌を聴かせたい」と、1978年に続き2回目となる歌手石川さゆりさんのコンサートを、患者仲間の中心となって水俣市で実現させ「大きな自信になった」。

 ただ、胎児性患者も還暦を迎え、これまで支えてくれた家族を亡くした仲間も。「普通の人にできても、できないことがある。皆さまの支えが生きる力になる」。だからこそ自らも「未来に向かって生きる誰かの心の支えに」と誓った。【共同】

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