83歳になる私の母は、長らく「梅エキス」と「ビオフェルミン」という薬の信奉者です。最近、その謎を解く理由らしきものを偶然、発見しました。「暮らしの手帖」という雑誌の中に、戦時中の思い出として掲載されていた母と同世代の方のエッセーです。

 今ほどではないにせよ、戦前もキャラメル、ビスケット、カステラ、アイスクリームなど、たくさんのお菓子があったようです。ところが、戦時中には徐々にお菓子がなくなっていき、お菓子の絵を描いては友達と競い合うのが楽しみだったというのです。

 疎開先に慰問品として送られてくる物の中で、お菓子類はぜいたく品として禁止されていましたが、薬ならばよいということで、梅エキスとビオフェルミンがせめてものお菓子の代用品であったとの記述がありました。

 日本の敗戦が色濃くなった頃は、食糧難という事情に加え、お菓子の絵でさえも子どもにとっては宝物で、絵を見てはあふれんばかりの唾液が分泌されていたのかも知れません。当時は衛生上の問題から腹痛を起こす感染症も多かったので、梅エキスとビオフェルミンは一石二鳥の役割を果たす極上品として擦り込まれたことでしょう。

 一方、国内とは異なり、海外の戦地ではぜいだく品が相応に支給されていたようで、南方の戦地では果物もふんだんにあったようです。しかし、歯磨きが十分にできる状態ではなかったためか、虫歯の痛みに苦しんでいた兵隊さんが意外に多く、歯科医師の慰問団が戦地に赴くと、連日40人近い兵隊さんが歯の治療のために受診したとの記録が残っています。

 私の母が今なお薬として口にしているものは、実は戦時中にのどから手が出るほど欲しかったお菓子の幻ではないかと思います。夏休みも残り少なくなってしまいましたが、おじいさん、おばあさんからお孫さんに、戦時中のお菓子や虫歯に関係する話などをされてみてはいかがでしょうか。

(すみ矯正歯科院長 隅康二)

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