鹿島ガタリンピックを立ち上げたメンバーたち。当時の苦労話や思い出などを振り返る桑原允彦さん(中央)ら=鹿島市内

■30年受け継いできた証し

 サントリー地域文化賞に選ばれた「鹿島ガタリンピック」。30年以上続く有明海の干潟の祭典で、今では数万人が会場を埋める。大会の立ち上げを知るメンバーたちは「光栄な賞をもらえた。後輩たちが引き継いでやり続けてくれた証し」と世代を超えて受け継がれた伝統に胸を張った。

 フォーラム鹿島の初代代表世話人を務めた桑原允彦さん(72)。「若かった時、おいたちも一生懸命やったな」と当時を振り返る。代表世話人を5年間務め、後輩たちからも“兄貴分”として慕われ続けた。トップに立ちながら「ガタリンピックはみんなでつくりあげたもの」と謙遜する。

 1985年の第1回大会予算は70万円。実行委員長だった横澤正英さん(72)は「広告を新聞に折り込むためのお金がなくて、(桑原さんと)2人で新聞販売店を歩き回った」。そのかいあって予想を大きく上回る6千人で盛り上がった。

 「最初は批判的だった」という矢野善紀さん(67)は、第1回大会の駐車場係で休む間もなく交通整理をした。「これだけ注目されている。鹿島のPRのためにも続けなければ」と思いを引き継いだという。

 元市職員で、七浦地区出身の山本克樹さん(67)は「お客が集まるとかではなく、まず楽しもう」と橋渡し役として大会を陰ながら支えた。広報を担当した藤雅仁さん(62)は関東圏のテレビ局も回った。16年間実況を務め「通信機器がない中でのアナウンスは大変だった」と懐かしむ。

 多くの人が大会に関わり、30年以上続いてきたことで手にした勲章。桑原さんは「『創業は易く守成は難し』という言葉がある。自分たちが得た賞というより、続けることの大切さとその難しさを後輩たちがやってくれたことが一番に感じる」と心の底から喜んだ。

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