佐賀生まれの大隈重信は1898(明治31)年、119年前のきょう、薩長出身者以外で初めての首相に就いている。日本初の政党内閣である。土佐藩出身の板垣退助とタッグを組んだことから「隈板(わいはん)内閣」と呼ばれたが、わずか4カ月で退陣に追い込まれる◆大隈は生前、こう語ったという。「古来政治家の歴史には、決して成功ばかりあるものではない。失敗もある。成功失敗こもごも起こるのである。あるいは失敗の方が多いかもしれんのである。あるいは一生失敗で終わることがあるかもしれぬ」と◆再び首相の座がめぐってくるのは1914(大正3)年と、15年ほどたってから。ドイツメーカーによる海軍への贈賄が政界を巻き込んだ「シーメンス事件」のさなかで、数万人が国会を囲む騒ぎになった。国民的人気を誇る大隈に白羽の矢が立ち、事態収拾に乗り出す◆大隈なら、どう収めるだろうか。国政が揺れている。稲田朋美防衛相が都議選の応援で「防衛省、自衛隊としてお願いしたい」とやった。森友学園への国有地売却問題や、加計学園の獣医学部新設問題もくすぶる◆国会議事堂の中央広間には四つの台座があり、大隈をはじめ、板垣、伊藤博文の銅像が建つ。ひとつは空いたまま。「政治に完成はない。未完の象徴」だという。主(あるじ)なき台座は「謙虚であれ」と戒める。(史)

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