内山 俊哉さん

岡 豪敏さん

合瀬 宏毅さん

古賀 義章さん

佐賀西高創立140周年記念式典で校歌を斉唱する卒業生や在校生=佐賀市文化会館

 佐賀西高創立140周年を記念した式典が11月、佐賀市で開かれ、同校OBでNHKアナウンサーの内山俊哉さんら報道や出版業界、法曹界で活躍する卒業生4人が対談した。4人は国際社会で多様化する時代への対応について、豊富な海外経験や実績を交えて伝え、在校生からの質問にも応じるなど後輩とのやりとりを楽しんだ。世界を飛び回り忙しい毎日を送る4人は、しばし高校時代を振り返りつつ「いまこの一瞬を大切に過ごしてほしい」とメッセージを送った。在校生や卒業生約1200人が先輩の話に耳を傾けた記念対談の模様を詳報する。

【参加者】

司会 内山俊哉さん(NHKアナウンサー)

岡豪敏さん(弁護士)

合瀬宏毅さん(NHK解説委員)

古賀義章さん(講談社国際事業局担当部長)

■古賀 視点を変えて見ること

 【内山俊哉】 古賀さんはフランスとインドの在住経験から国際化の時代をどのように捉えていますか。

 【古賀義章】 フランス人からすると、(私のことを)中国人か日本人か判別できないと気づき、「日本」ということをちゃんと伝えることが大事だと感じた。そこから海外の人が日本をどう見ているのかという視点を大切にしようと思った。

 朝鮮半島の38度線を南北それぞれから見ると、一方が悪人に見えた。立っている位置で見方が違ってくる。視点を変えないと分からないことがある。

 【内山】 主観と客観の話ですね。われわれは主観で物事を見ますが、その中で自らを客観視する。そうすることで見えてくるものがある。合瀬さん、どうでしょうか。

 【合瀬宏毅】 ジャーナリストはいろいろな角度から見ることが大事。その位置に立つと、そこからしかものを見ることができない。そんなときは、周りから意見をもらう。少し離れて見たときにどうなのか考えるようにしている。

 日本の農業は「(競争力が)弱い」と見られがちだが、中には農業技術を武器に海外でビジネスをしている人がいる。今は多様化している時代。固定化された考えは捨て、今起きていることに対応していくことが大事。

 【内山】 法曹界の国際化はいかがでしょうか。

 【岡豪敏】 企業の国際活動が盛んになっている。ただし、アメリカで訴訟をするとき、日本の弁護士は活躍できない。日本の弁護士は、日本の企業とアメリカの弁護士をつなぐ役割や、書類などの翻訳、契約書の作成などを行う。

■合瀬 柔らかく、素直な心を

 【内山】 若い世代が21世紀を生きていくために、今の時代をどう見ますか。

 【合瀬】 変化のスピードが速い。この先どんなふうになるのか分からない。ダーウィンの進化論は、強いものではなく、環境に適応していけるものが生き残る。自分の考えを誰かに否定されたとき「そうかもしれない」と言えるかどうかは、土台がしっかりしていないといけない。柔らかく素直な心を持った人でないといけない。

 【内山】 1995年にオウム真理教信者による地下鉄サリン事件があった。(当時、オウム真理教事件を取材していた古賀さんに)あの時代、高学歴な若者たちがなぜ事件を起こしたのでしょうか。

 【古賀】 刑務所から出た後の関係者に話を聞いた。一見、協調性がないように見えたが、みな悩みを抱えていた。心の強さが足りなかった。悩みを打ち明けられる友人がいたら違っていたのではないかと思う。10代のときにスポーツなどを一生懸命やり、心を強くすることが必要。

 【内山】 岡さんはどうでしょうか。

 【岡】 会社にとって、変化の時代に対応していくには何を変えられるか、何を残していくのかという判断が大事。継続して持ち続けるものと、時代と共に変えられるものを見極めていかなければならない。

■岡 継続と変革の見極めを

 【内山】 今、高校生に戻れたら、どうしますか?

 【岡】 勉強ばかりするような高校生になりたい。可能な限りの知識を身につけて大学に進み、社会人になるという夢を見るが、3日続くでしょうか。今の(高校の)年代は素晴らしい時間。将来変わってもいいから、夢や目標を持って努力してほしい。

 【合瀬】 高校生に戻ってもたぶん勉強はしない。ただ英語だけは勉強したほうが良い。海外でとても後悔したことが一つだけある。アメリカ人の記者に聞かれたことに、当時は英語が得意ではなかったので「難しくて説明できない」と答えてがっかりさせた。伝わらなくても「どうにか伝えてやる」とぶつかっていくことが大事。いろいろなことに自信を持ってぶつかっていってほしい。

 【古賀】 (西高時代)ラグビー部の試合で、98対0で佐賀工業高に負けたことを後悔している。頭を柔軟にして、五郎丸選手のようにキックの練習をやっていたらと思う。

 【内山】 野球部に入って、白球をひたむきに追いかけたい。選手になれなくても現場のサポートをしたい。これらは実現できないこと。今この一瞬を大切に過ごしてほしい。高校生活の中で何かをやり遂げる達成感が芽生えるものを持ってほしい。

 【内山】 卒業したら西高が母校になる。母校を「港」に重ねると、社会に出ていろいろなことを見て、大漁で戻りふるさとに利益をもたらすかもしれない。一方で社会に疲れて燃料切れになり、さまよってたどりついた母校で燃料を補給するかもしれない。みなさんにとって、見聞きしたことを還元し、エネルギーを充電する、そんな母校となってほしい。

=登壇者プロフィル=

■内山 俊哉さん うちやま・としや

 西高17回生。オリンピックの閉会式や、サッカー・ワールドカップ決勝を実況するなどNHKで長くスポーツアナウンサーとして活躍。

 「大学までアナウンサーの道に進むとは思ってもみなかったが、スポーツを見ること、選手を支えること、分析することは高校時代から好きだった。五輪中継を見て、現場に行ってみたくなった。高校時代の思い出は野球部の応援。(授業中抜け出して)教室にいないことがバレないように細工していた」

■岡 豪敏さん おか・たけとし

 佐高15回生。弁護士、関西佐賀県人会会長。京都大学法学部卒。

 「実力さえあれば独立できる。人助けをする仕事でもあるし、自由で拘束の少ない生き方ができるのではないかと思い弁護士になった。高校時代、体育祭のフォークダンスの合同練習をするとき、普段は交流のない北校舎から参加した女子生徒の手をとってどきどきした思い出がある」

■合瀬 宏毅さん おおせ・ひろき

 西高12回生。NHK解説委員。農政や食の問題を担当。

 「小さいころからあちこちに行きたくて、NHKに入れば世界中のいろいろなところへ行けると思い入った。農業番組を担当し、世界中から集まる食糧を作っているところを見に行く。高校時代の思い出は、みんなで友だちの家によく集まっていたこと」

■古賀 義章さん こが・よしあき

 西高18回生。講談社の「クーリエ・ジャポン」創刊時の編集長。

 「高校時代はラグビー部に所属し、バンド活動も。大学時代は国内外さまざまなところへ旅に出た。旅ができる仕事はマスコミだと思い、講談社に入社。インド版アニメ『巨人の星』をインドで共同制作した。高校時代の思い出は、ラグビー7人制の公式戦で3トライを決め、佐賀工業に勝ったこと」

=ズーム= 佐賀西高校

 1876(明治9)年、藩校弘道館の流れを継承し、佐賀変則中学校として開校。佐賀中学校、佐賀高等学校と統合や分離を経て1963(昭和38)年、現在の校名となった。これまで6万6000人を超える数多くの優れた人材を輩出してきた佐賀県を代表する進学校。江戸時代に完成した佐賀城は、さがの城、榮の城として榮城という別名で呼ばれた。その城内跡地の一角に建てられた佐賀西高は、地域の人々から親しみを込めて「榮城 EIJO」と呼ばれている。(佐賀西高のホームページなどから)

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