「加藤清正 朝鮮ヨリ冨士ヲ望ム」 明治維新以降は大陸進出の先例として秀吉や清正が顕彰されてきた(楊斎延一画 1893年 名古屋市秀吉清正記念館蔵)※10月15日まで展示

「佐藤正清虎狩之図」 徳川幕府の下、実名で描くことが禁じられ、別名になっている(歌川国綱画 1860年 名古屋市秀吉清正記念館蔵)※10月15日まで展示

「名護屋城跡写真絵葉書」 旅行ブームで多くの人が訪れるようになった。今では100年前の遺構を知る貴重な歴史資料(大正~昭和初期 名護屋城博物館蔵)

 唐津市鎮西町の県立名護屋城博物館で22日から企画展「語り継がれる名護屋城」が始まる。豊臣秀吉による大陸侵攻の拠点として築かれた名護屋城。役目を終えて以降の400年、時世の変化もあってさまざまな形で語り継がれ、残されてきた。武具や古文書、錦絵など約90点の貴重な資料からその歩みをたどる。

 出兵開始とともに短期間で日本の中心地となった名護屋。秀吉の死によって7年に及ぶ戦いが終結すると、江戸時代初期には城や陣屋が破却され、元の静かな港町に戻った。武家社会ではこの戦いで立てた先祖の武功が大事に語り継がれていく。鍋島家、立花家、黒田家ゆかりの品々で振り返る。

 庶民にもさまざまな軍記物や読本を通して戦いの記憶が刻まれていった。渡海しなかった秀吉に代わり、「虎狩り」の武勇伝を持つ加藤清正が主役級で描かれ、人気を集めた。だが徳川幕府下では秀吉同様に実名が禁じられ、展示する錦絵には「佐藤正清」の名で清正が描かれている。

 明治になると、「幻の城」だった名護屋城に再び注目が集まる。近代化を成し遂げた日本は、日清・日露戦争、韓国併合を経て大陸進出の機運が高まる。その先駆者として秀吉や清正が英雄視されると同時に、大正時代から広がった旅行ブームで観光地の一つになっていく。近年の城跡や陣跡の保存活動も紹介する。

 廃城後の歴史をテーマにした初めての展覧会。同館学芸員の久野哲矢さん(36)は「漠然と残ってきたわけでなく、さまざまな人の手で語り継がれてきたことを感じていただき、これからどう残し、どう活用するかを考えるきっかけになってくれれば」と語る。

 企画展は11月5日まで。月曜休館(10月9日は開館、翌10日休館)。観覧無料。

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