昭和20年代、鳥栖小の児童だった私たちが旧国鉄鹿児島線に架かる跨(こ)線橋「高橋(たかばし)」を越え、基里小校区の曽根崎町に入ることはめったになかった。

 同29年、町村合併による「鳥栖市」が発足し、中学生になった私たちはフナ釣りの竿を自転車につけ酒井東町のクリークまで足を延ばすようになったが、曽根崎町の小学生が投げる石を避けるため、高橋を全速で駆け下り国道3号を一気に横切った。

 昭和30年代半ば、鳥栖高校生の時代には基里地区の友人もでき、福岡県小郡市・久留米市との境界の赤川(新宝満川)まで我々の漁場は広がった。

 今も市外に出かけ国道3号を西に折れて高橋を渡るとき、またJR鹿児島線の車両が高橋の下を通過する瞬間、「ああ、鳥栖に戻った」と思う。

 高橋は、私の鳥栖の境界ランドマークである。

  絵・水田哲夫(鳥栖市本町)

  文・高尾平良(鳥栖市本町)

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