酒造りが終われば田植え。親せきの加勢に行った肥前町晴気の水田で

 酒造りはほとんどの蔵が4月中に終わり、杜氏たちは出稼ぎ先の蔵元から故郷へ帰る。そのころ上場台地では田植えの準備が始まっており、休む間もなく農作業に取りかかる。

 忙しい農作業の合間を縫って行われるのが「願成就(がんじょうじゅ)」。蔵人が杜氏宅に集まり、鶏や野菜、魚などを買ってきて料理を作る。準備が整ったところで、杜氏の村の氏神様にお参りする。病気やけがもなく、良い酒ができました。無事に帰って来ましたと報告し感謝する。

 そのあと、一造りの疲れをねぎらうように酒を酌み交わす。村の区長さんら留守の間にお世話になった人が招待されることもある。

 この様子を小学校の行き帰りに見ることが何度もあった。全員が真面目で、秩序が保たれた言動。そのなかでひときわ目立つリーダー格の人物が杜氏だった。

 蔵人を束ね、蔵元とのパイプ役を果たし、良い酒を造ることはもちろん、その蔵の行く末も左右するほどの責任が課される。

 その時はそこまでは分からなかったし、小学生が酒に興味などあるはずもなかったが、今でもその情景は鮮明に覚えているから、何か予感するものがあったのかもしれない。

 酒造りから解放されたことやひと冬分の賃金をもらった楽しい飲食の中で、これが願成就だと身に染み付いている。その風習も薄れ、蔵人が減り、今どきの人は忙しい忙しいと言って、自分がしたいことを優先する。伝統や歴史を大切にする人が本当に少なくなってきた。

 ある若者は酒造りから帰ってきて「牢屋に入れられているようだった。もう二度と行かない」と言ったそうだ。

 いのうえ・みつる 1951年生まれ。「肥前杜氏」として半世紀にわたり酒造りに携わる。現在、有田町・松尾酒造場(宮の松)に勤務。九州酒造杜氏組合長。唐津市肥前町納所。

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