佐賀藩10代藩主の鍋島直正は洋学の積極的な導入で近代化を成し遂げた功績が名高い。ただ31年間の藩主時代を通じて軍事改革が本格化するのは後半である。それ以前の内政の基礎固めのことはあまり知られていない◆藩主になったのは天保元(1830)年、17歳の時。半年後、重臣たちを集めて「どんなことがあっても自分は覚悟ができている。後はあなたたちの奮起だ」という意味の、燃えるような意志を伝えている◆しかし、改革の必要性を感じない前藩主時代からの幹部とはかみ合わずに悩み抜く。妬(ねた)み、負け惜しみ、決断しないという「三病」が藩士に染みつき、これを除かないと大事業はならないと側近も提言する◆転機は藩主になって6年目の佐賀城の火災だった。江戸にいる父にあて「緊急事態なので現場の判断で進めていく」との直筆の手紙を火災から4日後に送る。人事を刷新し、異母兄を行政トップに任命し改革を押し進める。「チーム佐賀藩」ができた瞬間だった。かつての苦労が機敏な対応に結実したのである◆大なたを振るう一方、側近には「下の民を思う心が深い」と映っていた。そうでないと藩内は一つにならない。その仰ぎ見る直正の銅像がゆかりの佐賀城旧二の丸跡に再建され、今日お披露目となる。県民の心のよりどころとなり、繁栄を見守るだろう。(章)

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