絵・水田哲夫=鳥栖市本町

 旧長崎街道に沿った鳥栖市本町には東西南北に「碁盤の目」状に走る、整然とした道筋が残っている。

 街道の西側、真宗本照寺のやや南、谷口茶舗の角から西に入った辻を地元では「地蔵町」と呼び、この辻の南東角に石垣を積み室町時代の石のお地蔵さまが祭られている。

 室町時代は南北朝争乱から始まり戦国時代へと続く革新と戦乱の時代で、人々は村や町の入り口・出口に六体の地蔵菩薩を祭る「六地蔵」を立て、日々の平安、死後の安心を願った。童話の「笠地蔵」、童謡「村の外れのお地蔵さま」がこれである。

 1586(天正14)年7月、勝尾城の筑紫広門を攻める薩摩の島津義弘の軍勢3万が本町を含む瓜生(うりゅう)野(の)に布陣。周辺の石仏を破壊したため、地蔵町の六地蔵も台座や天蓋をなくし本体のみが今も祭られている。(高尾平良=鳥栖市本町)

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