壁画の前で笑顔を見せるケニアの子どもたち(2006年)

ケニアで子どもたちと記念撮影するミヤザキさん(2006年)

フィリピンのドラゴンの壁画(2004年)

 大学は筑波大芸術専門学群へ。東京藝術大への進学は厳しいという現実的な判断と、名門大学で美術を専攻するという王道とは違う道への挑戦だった。大学院まで進み、在学中に出演した恋愛番組「あいのり」の関連でフィリピンの孤児院を訪れた。

 絵はいつも自分のために描いてきたが、子どもたちのために何かできないかと考え、孤児院の高さ2メートル、幅6メートルほどの壁に一晩で絵を描いた。ヤシの木やセブ島を描いて表現した、フィリピンから日本へ向かうドラゴンの絵。背中には子どもたちが乗っていて、「いつか日本に行ってみたい」という子どもの夢を絵でかなえた。壁画を見た子どもたちの笑顔を見た時、「これのためなら頑張れる」と、人のために描く喜びを知った。

 大学院卒業後、ワーキングホリデーでイギリスのロンドンへ。ホテルに住み込みで働いたり、学校で美術講師をしたり職を転々としながら絵を描き続けた。収入は月10万円ほど。安アパートでポテトだけを食べて過ごすことも。インターネットで絵の受注も始め、わずかながら生活費の足しにした。

 ロンドンで約2年を過ごしたころ、ケニアの極貧層の小学校がテレビに流れた。ボロボロのトタン家やごみをあさって生活する子どもたちを見て、壁画を描いて元気にできないかと考えた。ライブペイントやネットで資金を集め、スポンサーも見つけて2006年、ケニアのキベラスラムにあるマゴソスクールへ向かった。現地に定住しながら支援活動する早川千晶さんの協力で学校に到着したが、そこからは一人きり。突如現れた日本人に周囲から怪しまれたが、フィリピンの経験を生かしドラゴンを描いた。喜ばれると思いきや、「子どもたちは架空の生き物を知らず、アナコンダだと思ったみたいで」とミヤザキさん。怖がった子どもが不登校になる事態に。学校関係者からますます厳しい視線が注がれた。

 ミヤザキさんはドラゴンを消した。明るい絵にしようと現地の電車やバオバブの木などを子どもたちと一緒に描いた。自分の絵に他人の手が入るのはあり得ないと思ってきたが、壁は公共物。自分の好きなものを描くだけでなく、そこで暮らす人の生活に溶け込むものがベストだと感じた。

1.Visitor No.010 ミヤザキケンスケ(画家)

2.高校生で海外へ

4.「Over The Wall」始動

5.子育てとの両立

6.クリエイターを目指すみなさんへ

このエントリーをはてなブックマークに追加