半世紀の歩みを振り返り、笑顔を見せる太田弘正さん、と志子さん夫妻=唐津市原の自宅

京都を訪ねた新婚旅行

■Uターンの労、乗り越え

 「いくつか会社を移ったのが迷惑かけたかな」。唐津市原の太田弘正さん(76)が50年の歩みを振り返る。建設業界を渡り歩き、関東で10年、Uターンして唐津市や伊万里市で40年の夫婦生活。妻のと志子さん(79)が「忍の一字ですよ」と答えれば、「姉さん女房で何でも受け入れてくれた」と目を細めた。

 弘正さんは唐津市北波多育ちで、旧唐津実高を卒業後に就職。転職先の横浜市の土木建設会社で、事務をしていたのがと志子さんだった。半年足らずの交際で結婚。「九州から1人で来て大変だろうな、と思って…。同情結婚です」とと志子さんは笑う。

 当時はアパート暮らしで風呂は銭湯。「先に出たほうが待たされ、まるでフォークソングの『神田川』。あの頃が一番幸せだった」と弘正さん。早産による心労もあったが、結婚7年目には長男に恵まれた。

 結婚10年目に転機が来た。唐津の親戚に「地元の建設会社の人手が足りない」と転職を勧められ、社長からも熱心に勧誘され、唐津市の笠原建設にお世話になった。「今思えば、両親の面倒を見ろということだったんだろう」と弘正さん。一方、横浜生まれのと志子さんは、予期せぬ両親との同居生活で1カ月で10キロもやせた。

 唐津に慣れるのも時間がかかった。5カ月ほどで長男の幼稚園入園を機に市中心部へ3人で引っ越し。仲間をつくるつもりで、幼稚園の役員に立候補すると、「都会の人はすごい」と陰でささやかれた。言葉も壁になった。「奥さん、どこん人? 言葉のおかしかね」。近所の人のひと言が今でも忘れられない。

 転職で伊万里にも住み、10年前に両親が暮らした唐津の家に戻った。弘正さんは地元老人クラブの会長を務め、と志子さんも顔を出し、仲間もできた。

 妻の苦労をしみじみと聞き、弘正さんは「これだけは言いたい。おいしい料理を食べさせてくれた」と感謝の言葉を添えた。今の2人の楽しみは、互いの誕生日や結婚記念日にスナックへ一緒に出向き、杯を交わし、歌うことという。

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