大型の農家住宅で、部屋が奥へ奥へと続いている=佐賀市三瀬村藤原

立派な茅葺き屋根が重厚な雰囲気を醸し出している=佐賀市三瀬村藤原

■明治~昭和の山間部農家

 三瀬やまびこ交流館(旧田中家)が所在していた三瀬村野田は、三瀬山道に沿う盆地状の平地に位置しています。高瀬川を利用してかんがい施設が整備され、弘化年間(1844~48)より三反田代官の指令を受け、杠山の新田開発が進んだと思われます。藩有林管理のため、山留と称される山方役人が配置されていました。

 田中家は2000(平成12)年、県道富士三瀬線の道路改良工事に伴い移転を余儀なくされました。この田中家は当地区で唯一残存する歴史的建物ということから三瀬村が田中家から譲り受け、国土庁の過疎地域交流施設整備事業の遊休施設再活用推進モデル事業としてこの地に移築復元されました。

 この建物は1930(昭和5)年に建築されたものであり、当時の山間部の農家住宅として、明治から昭和への過渡期にあたる貴重な建物です。

 屋根は寄せ棟造りの茅葺(かやぶ)きで、延べ床面積は約180平方メートル。当時としては大型の農家住宅で、柱や梁(はり)が大きく、中座敷もあることから比較的大きな農家であったことが推定されます。

 住まいと同じく田中家の蔵も隣に復元されました。この蔵は、1907(明治40)年に建築されたもので、主に米蔵として使われ、みそやしょうゆなども、この蔵の中で保管されていたようです。

 この建物は古民家を究明する上で、貴重な資料を提供してくれます。

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