潮見神社の北の山麓にある菊池経直の墓

 武雄市の南東、嬉野市との境にほど近い潮見山東山麓に、潮見神社があります。

 創建は明確な資料がないため不明ですが、安元2(1176)年の武雄神社の古文書に名前が登場していることから、遅くとも平安時代後期には存在していたと思われます。現在は上宮と中宮があり、外宮は跡だけが残っています。

 元々の祭神は、イザナギ、イザナミの二柱だったようですが、嘉禎3(1237)年に橘薩摩公業が長島荘の地頭として着任し、橘諸兄を合祀(ごうし)して、山頂にあった社を東麓に遷宮。これを上宮とし、中宮を新たに建てて神功皇后、応神天皇、武内、橘奈良磨を祭神として祀(まつ)りました。公業も死後に中宮に祀られました。

 ところで、現在、武雄神社、黒髪神社で流鏑馬(やぶさめ)が行われていることはよく知られていますが、かつては潮見神社でも奉納されていました。

 神社の北の山麓に、それを証立てるものが残っています。五輪塔と六地蔵が建つ墓は文治2(1186)年、潮見神社の祭礼に来て笠懸(流鏑馬)を行い、落馬して亡くなった肥後の豪族、菊地経直のものとされます。

 「武雄市史」によれば、寛元元(1243)年、公業が鎌倉幕府から流鏑馬役の勤仕を命じられたことを示す『関東御教書案』には、「九月九日流鏑馬事」とあり、武雄神社と同時期、もしくはそれに先行して行われていた潮見神社の流鏑馬が、少なくともこの頃までは、9月9日に奉納されていたと考えられます。(武雄市図書館・歴史資料館 一ノ瀬明子)

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