■川を境に対馬、鍋島藩

 旧長崎街道、鳥栖小学校の校庭に沿って流れる轟木川を「番所川」とも呼ぶ。江戸時代、この川を境に東は対馬藩田代(たじろ)領、西は鍋島藩佐賀領に分かれ、鍋島側に番所があった。

 1587(天正15)年、九州を平定した豊臣秀吉は養父(やぶ)郡の半分、鳥栖市西部を鍋島信生(のぶなり)に、残る養父郡東部と基肄(きい)郡(鳥栖市東部と基山町)を筑前領主小早川隆景に与える。

 1592(文禄1)年、朝鮮半島に攻め込んだ秀吉は道案内を命じた対馬の宗義智(よしとし)に薩摩国出水郡の1万5000石を与えた。

 1599(慶長4)年、秀吉が死去し朝鮮半島からの撤退を主導した徳川家康は島津義久に小早川領のうちから「基肄養父」を与えるが、宗氏と島津氏は出水郡と基肄養父の交換を願い「田代領」が成立する。

 10月16日は「とす長崎街道まつり」。番所川ば、見にこんね。

絵・水田哲夫(鳥栖市本町) 文・高尾平良(鳥栖市本町)

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