将来を嘱望されながら、志半ばで思いを遂げられなかった政治家は多い。亡くなった加藤紘一氏もそんな一人である。自民党ハト派、宏池会(現・岸田派)の「プリンス」といわれた政治家だ◆最も光を放ったのは自民、社会、さきがけの連立政権で党政調会長や幹事長を務めていたころ。思い出す場面がある。1995年、佐賀の大塚清次郎参院議員の死去に伴う補選だ。橋本龍太郎総裁の下での初の国政選挙で、「小さな県の大きな選挙」といわれた◆負けられない自民は党本部主導で候補者選考を進めたが、佐賀県連と県農政協議会との調整が難航。当時、東京勤務の筆者は、加藤幹事長が公認申請に来た県連幹部に机をたたいて農政協との一本化を迫ったと伝え聞き、その「本気度」に触れた。「あの知的でスマートな加藤さんが…」と思ったものだ◆輝いていた加藤氏は2000年の「加藤の乱」で挫折。政変の直前、本人の佐賀市での講演を取材したが、「今の自民党では現状を変え得ない」と森喜朗内閣を倒す意欲を隠さなかった。結果的に政治の潮目を見誤った◆しかし「乱」は、後の政治改革の潮流を生み出す。なのに今の「安倍1強」体制の中では、「保守リベラル」の影は薄く、目指した政治の姿から遠くなってしまった。きっと泉下から、警鐘を鳴らしているだろう。(章)

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