紀元前1世紀ごろに造られた 北墳丘墓のかめ棺

南内郭の王の家

◆北墳丘墓は時代に違い

 9月に入り、修学旅行が動き始めました。夏休み中は子どもさんの宿題の自由研究として、吉野ケ里を訪れた家族の方が多かったのですが、9月からは学校団体が中心となります。ただ、吉野ケ里遺跡の説明をしていて、少し気になることがあります。

 というのは、現在吉野ケ里に復元されている集落は、吉野ケ里が最も栄えたと考えられている3世紀ごろのものだからです。

 物見やぐらがそびえる南内郭には、王の家とされている竪穴住居が復元されています。身分の高い人の住む南内郭の中で、特別に溝と柵で囲んだ区画に建っています。

 そして、北内郭の主祭殿の2階には、王が中心となって会議が開かれている様子が再現されています。北内郭から北へ進むと、歴代の王の墓と考えられている北墳丘墓があります。

 この流れからすると、全てが同一の王の動きのように思われますが、実は北墳丘墓だけは王の時代が違います。北墳丘墓に埋葬された王は、紀元前1世紀ごろの人で、吉野ケ里の環壕集落を造り上げた3世紀ごろの人ではないのです。

 それでは、その王の墓はどこにあるのでしょう。まだまだ吉野ケ里の謎と興味は尽きません。(吉野ケ里ガイド)

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