しっくりと手になじみ、一目見たときから気に入った西岡小十の茶碗。青山京子さんの父親の福次さんが譲ってもらえるように交渉した

在りし日の父・青山福次さん(左)と京子さん。福次さんは5年前に他界した

「父と一緒に暮らした時期はわずかだったけれど、その分優しく、単身赴任先からよくお茶道具を買ってきてくれた」と振り返った青山京子さん=唐津市旭が丘の自宅

■西岡小十の茶碗 単身赴任、父の償い

 私が21歳か、22歳の正月のことでした。父の福次が「お茶碗(ちゃわん)を買ってあげる」と言って、古唐津の研究で有名な西岡小十(こじゅう)先生の小次郎窯をうかがったんです。中里太郎右衛門窯に行く予定が、その日は閉まっていて、父に連れられて初めて訪ねました。

 茶の間みたいなところに作品が並んでいて、最初にお茶を出してくださった。そこで出されたのが熊川(こもがい)と呼ばれる茶碗。ころっとしていて、手になじむし、口触りもいい。「これがいい」と直感しました。

 でも、先生は「譲れない」と言われて…。聞けば、最初に造った自分の窯で焼いた茶碗で、毎日お茶をいただいているお気に入りとのこと。きょうだいの茶碗があり、表千家に行き、「佐用姫」と名づけられているという話で、随分大事にしていらした。

 それでも私が諦めきれずにいたものだから、「どうにかならないか」と1年半ほど父が熱心に交渉してくれました。大成建設に勤めていた父は、ちょうど海洋博の道路工事で沖縄に単身赴任していました。帰るたびに窯に寄って、器を買ったりしていたんです。すると、先生が「そこまで言うのなら、かわいがってくれるところが茶碗も喜ぶ」と譲ってくださった。

 もともと祖父や母がお茶をしていたので、私も14歳から裏千家で勉強をしていましてね。小学校に進学する前、父は北山ダムの建設現場で働いていて、ダムのそばで一緒に暮らした時期もあったけれど、その後は単身赴任。各地で事業が終わるたびに、その土地からお茶道具を一つずつ買ってくれた。沖縄の金城次郎のつぼ、岡山の備前焼の花入れ、島根の八雲塗(やくもぬり)のなつめ…。今思えば、同居していなかったことへの父の償いだったかもしれない。

 いくつも買ってもらったけれど、この熊川の茶碗ほど手に入れるのに苦労し、父との思い出が詰まったものはないですね。それに、小十先生は手放した後も気になっていたようで、会うと「あのお茶碗、元気にしてる?」とおっしゃるから、2回ほど見せに行くと喜んでくれた。

 今では私も茶道の教授で、150人以上に教えてきました。唐津でお茶会をするときには唐津焼が好まれ、家元の内弟子の先生方が京都からお見えになる際は必ず、このお茶碗でお出しする。すると、父と先生がそばにいるような感じがしてね。これで唐津焼が好きになった人、多いですよ。

■余録 無冠の巨匠

 陶磁研究者の小山冨士夫をして「唐津のことなら何でも知っている唐津の神様」と言わしめた西岡小十(1917~2006年)。それほど古唐津の古窯や陶片に精通していた。

 陶片の発掘は当初、生活費を稼ぐ狙いがあった。しかし、そこで目が養われ、古唐津の復元や作陶意欲へとつながっていく。小山の指導も取り入れ、71年に衣干山の麓に登り窯を築き、小次郎窯と命名した。

 青山さん親子が訪ね、茶碗を所望したのはこのころ。よく「これは古唐津なの?」と尋ねられるそうだが、いにしえの風合いも心得た作家の歩みを知ると、人が古い品と間違えてしまうのも分かる気がする。

 西岡は生涯、作家団体に所属することなく、「無冠の巨匠」とも呼ばれる。

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