わずか35年の生涯で、近代俳句の礎を築いた正岡子規。きょうは114回目の命日である。結核に苦しみ、長く病の床にあった彼にとって、看護にあたった母の八重(やえ)と妹の律(りつ)の存在は大きかった◆<母と二人いもうとを待つ夜寒かな>。死の前年の子規の句である。子規は母のことをどう思っていたろう。23歳ごろの随筆に「極めて沈黙にて、他人を評論するなどは成(な)るべく避け給(たま)ふ方也(かたなり)」と記している。やさしくも、士族の娘らしく何があっても動じないものがあったようだ◆それでも子規の病には心を痛めた。代わりに自分のこの命を捧げます、どうか助けて下さいと日夜神仏に祈っていたという。それもかなわず、八重57歳の時に息子の命は果てる。冷たくなる子規に「サア、も一遍(いっぺん)痛いというてお見」と強い調子で一語を発した(河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)の『子規の回想』)。その言葉にどれほどの思いがこもっていたろう◆八重は82歳の天寿を全うした。子に先立たれ、悲しい人生であったかもれないが、子規の主治医が慈母のような人であったと回想しているように、情深く地に足のついた生涯だった。穏やかな最期だったと思いたい◆だれしも、それぞれの人生を生き、老いに行き着く。平らな道ばかりでなかったであろう歩みを、敬う社会であってほしい。「敬老の日」に思うことである。(章)

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