南米初開催となったブラジル・リオデジャネイロ・パラリンピックが、12日間の熱戦に幕を閉じた。多くの困難に立ち向かい、肉体的、精神的な限界に挑み続ける選手たちの姿は、声援を送る私たちも大いに勇気づけてくれた。

 159カ国・地域と、初めて結成された難民選手団、合わせて約4300人の選手たちが出場した。日本は132人の選手団を送り込み、銀メダル10個、銅メダル14個と、メダル総数では前回ロンドン大会を上回った。

 4年後の東京へ期待をつなぐ活躍だった。マイナー競技の知名度を一気に上げたボッチャ団体の銀メダル、5種目に出場して銀、銅メダルを二つずつ獲得した水泳の木村敬一選手、大ジャンプを見せた走り幅跳びの山本篤選手の銀メダル-。テレビ中継される競技が一気に増えたこともあって、従来の障害者スポーツのイメージを大きく変えた。

 ただ、夏の大会では初めて金メダルに手が届かなかったという現実は、真摯(しんし)に受け止めねばならない。

 各国のレベルが上がっているという事情もあるだろうが、いかに選手層に厚みを持たせ、トップアスリートを育てていくか。そのためには選手の練習環境の充実が欠かせないが、いまだに障害者への偏見が根強いという実態も明らかになってきた。パラリンピック選手であっても、練習場所の確保にさえ苦労しているという。車いすなどを使うために施設が傷みやすいのを嫌うなどの事情があるようだが、スポーツ施設のバリアフリーを一層進めていく必要がある。

 今回のリオでは、オリンピックとパラリンピックで対照的な場面があった。ロシアによる国ぐるみのドーピング問題への対応である。国際オリンピック委員会(IOC)は条件付きでロシア選手の出場を認めたが、国際パラリンピック委員会(IPC)はロシア選手団を全面的に排除する決断をした。

 世界反ドーピング機関(WADA)が明らかにしたロシアのドーピングの実態は、メダル至上主義に走り、アスリートの尊厳を踏みにじる内容だった。IPCの毅然とした対応は、スポーツの公平性と選手の健康を優先する決断であり、大いに評価したい。

 不幸な事故もあった。自転車男子個人ロードレースの試合中、イランのバハマン・ゴルバルネジャド選手が下り坂でカーブを曲がりきれず、壁に衝突して亡くなった。

 競技のレベルが上がるにつれて、危険が増すのかもしれない。いかに安全を確保していくのか。コースを徹底的に検証し、今後に生かしていく必要がある。

 閉会式で披露した日本のセレモニーは「ポジティブ・スイッチ」をキーワードに、義足のモデルやダンサー、ダウン症のダンサーらがステージいっぱいに躍動した。「パラリンピック」という名称が初めて使われた1964年の東京大会を振り返りつつ、どんな困難があろうとも、それぞれの人生に前向きに向き合おうというメッセージが伝わってきた。

 いよいよ2020年の東京大会を迎える。パラリンピックには、すべての人を前向きにさせる力がある。それを体現する大会であってもらいたい。(古賀史生)

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