朝日山に残る堀切跡

 JR新鳥栖駅のすぐそばに位置する朝日山は標高133メートルの独立丘陵です。春には満開の桜に彩られ多くの花見客でにぎわいますが、各所には戦国時代に築かれた山城跡が残ります。

 『北肥戦誌』などの軍記物によると、朝日山城を築城したのは中世の北部九州で勢力を誇った少弐(しょうに)氏の一族、朝日資法(資信)と伝えられています。やがて、中国地方の大内氏が勢力を伸ばしてくると、朝日山城は幾度となく合戦の場となりました。少弐氏はやがて衰退し滅亡しますが、朝日氏は最後まで付き従っていた様子が「横岳文書」などからうかがえます。

 その後、同じ鳥栖市内にある勝尾城(かつのおじょう)を本拠地とした筑紫氏の支配下となった朝日山城は、龍造寺氏や島津氏との合戦においても、激戦の舞台となったことが伝えられています。

 朝日山に登ると現在でも敵を防ぐための堀、兵などを駐屯させるために整地した曲輪(くるわ)、尾根を伝って敵が攻めてくるのを防ぐため堀で区切った堀切(ほりきり)など、400年前の遺構がそのまま残っています。城の中心である主郭(しゅかく)があった山頂部からは市内をはじめ、一帯に広がる筑後平野、はるか耳納(みのう)連山まで一望することができます。ぜひ素晴らしい景観と共に朝日山の歴史を知って頂ければと思います。

(地域レポーター・田中健一=鳥栖市儀徳町)

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