住民の手で「復活」した春日浮立。印鑰神社で天衝舞が奉納された後、鉦浮立が集落の社を回る=佐賀市大和町尼寺

浮立の演者は総勢20人。鉦や太鼓、「もりゃーし」と呼ばれる子どもたちの小太鼓などで構成される

集落の社には住民が集まり、久しぶりに披露される浮立に「なつかしか」の声が漏れた

手作りの衣装

■伝統踏襲 新たな祭りに

 集落の小さな社に浮立が回ってくるのは、五十何年かぶりのことだった。11月19日。佐賀市大和町春日校区で、住民たちが復活させた浮立が披露された。

 かすりの衣装に独特のかぶと飾りを着け、鉦や太鼓を打ち鳴らす。佐賀平野に広く伝わる「天衝舞」である。

 かつて、この地域にあった尼寺浮立は昭和初期、近郷で天衝舞を伝承する平野地区から指導を受けて始まった。毎年11月15日、印鑰神社で奉納した後、各集落の社を回り、地域の有力者から声が掛かればそこへ出向く。朝8時ごろから夜の8時、9時まで浮立は続いたという。

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 戦時中、軍に鉦を供出したため中止を余儀なくされたが、戦後、新たに鉦を購入し、一度は復活した。今も地域に残るその鉦には、寄付者の名前とともに、「昭和27年」と購入年が書かれている。サンフランシスコ講和条約の発効で日本が国際社会に復帰した年。地域住民にとって、祭りも大切な「戦後復興」の一つだったに違いない。

 浮立の前日には市が立った。今でいう、旧国道263号沿いの尼寺交差点辺りは、焼き物や竹かごを売る露店が並び、見物客でにぎわった。祭りは、そんな活気ある時代の記憶と分かちがたく結びついている。

 しかし、1959(昭和34)年の町制施行からほどなく、浮立は途絶えた。村が町へと“昇格”して、それまでの習わしが敬遠されたわけでもなかろうが、事情を知る住民はもういない。

 浮立を復活しようという話が持ち上がったのは2015年。住民自身が地域の課題解決を目指す「まちづくり協議会」で一番最初に挙がったテーマだった。

 幸い、当時の衣装や道具は印鑰神社境内の集会所に保管してあった。県からの補助金を受けて、太鼓の革を張り替えたり、傷んだ衣装を作り直した。

 春日校区は佐賀市のベッドタウンとして宅地開発が進んだ地域。よそからの転入者も多く、演者の頭数をそろえるのも一苦労だった。回覧板で呼び掛ける一方、住民を直接口説き落として小学生から60代までの20人を集めた。かつての尼寺浮立と同様、平野地区からあらためて指導を受け、今年3月、「復活」のお披露目にこぎつけた。

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 復活に当たって、校区のまちづくりにつなげようと、浮立は「春日浮立」と名付けられた。「大人と子どもが一緒になってやれるところがいいんだ」。まちづくり協議会の会長深川優さん(74)は力を込める。

 この秋披露されたのは、校区の住民交流イベント「春日の里ふれあいまつり」。神社の祭祀とは一切関係ない、「文化祭の出し物」の一つ。昔の伝統を踏襲しながら、今どきの、まったく新しい祭りともいえる。

 集落の社に見物に集まった住民からは「なつかしかねぇ」と声が漏れた。中には涙を流す年配の姿もあった。村が町になって途絶えた祭りが、今度は町が市になり、同じ地域の住民同士を結ぶ「しるし」として、再び求められる時代を迎えたということだろうか。

<余録>手作りの衣装

 春日浮立の独特の衣装は、昔の尼寺浮立の道具を参考に、まちづくり協議会のメンバーが手作りした。竹で作ったかぶとに付けられた長い髪のような飾りには、激しい動きをしても切れない丈夫な「フィリピンあたりから取り寄せた草」を使用。

 高さ1・5㍍ほどの「大天衝」も本来、竹で骨組みを作るが、ここではホームセンターで調達した合板を活用するなど、随所に今どきの工夫がなされている。

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