大手門食堂の壁に張られた熊本澄男さんの写真

◆記憶の中の名物ガイド

 以前、鹿島市の折敷瀬敞子(おりしきせひろこ)さん(89)から「かんねどん」が録音されたEPが送られ、本欄でも紹介したが、今度は昭和53(1978)年に名護屋城観光に行かれた際の記念写真を送っていただいた。ありがたい。

 写真を眺めながら、顔を白く塗った観光ガイドの方が気になり、調べてみることにした。なぜなら私が若い頃、一度、名護屋城でお見かけしたことがあるからだ。

 名護屋城大手門近くにある大手門食堂の壁にもこの男性の写真が張ってあり、女将(おかみ)山田ミサオさん(80)に当時のことを聞いた。

 彼は昭和46年から56年までほぼ毎日、名護屋城の観光ガイドを面白おかしく行われていた熊本澄男さん(故人)で、名護屋の浜地区で八百屋を営み、青果市場への仕入れにも写真のようなメークのまま出掛けていた有名人だったそうだ。

 現在、観光ガイドは「肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会」が担当している。ガイドの福浦恵理子さん(38)によれば、今年7月に3日間行ったアンケート(回答者273人)では、来場者は半分以上が福岡県からで、県内からは18%。東京都から11%で、遠くは新潟県や岩手県などからも来られているそうである。

 動機はNHKの大河ドラマで、特に今年放映の「真田丸」の影響が大きいそうだ。総入場者数は約6万人。関ケ原古戦場は年間約10万人前後で、それに比べると少ない。

 「知名度が低いのでしょうね。もっと小さな城だと思っていましたという意見が多いようです」と福浦さん。

 名護屋城は当時、大坂城にも匹敵する城で、城下は全国の戦国大名が約8年間居住したところである。この事実を今後も全国的に広めていくべきであろう。

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